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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<非人間貴族

貴族の将来──貴族社会の人々の挙措は、彼らの身体のなかで、力の意識が、たえずその魅惑的な演技を演じていることを示している。だから貴族的な躾をもった人間は、男女の別なく、さも疲労困憊したといったように椅子に腰をおろすことを嫌う。だれもかれもがくつろぐ場合にくつろがない。たとえば列車のなかで背中をよりかからせることをしない。宮廷で数時間立ったままでいても、疲れないように見える。貴族的人間はその家を快適本位に造らず、宏壮に厳めしく、あたかもより偉大な(背も高い)存在が棲んでいるかのように造る。挑みかかるような言辞に対しても、平然として精神的な明朗をもって答える。平民のやるように驚愕したり、圧倒されたり、恥じたり、息を切らしたりしない。貴族的人間はつねに高度の肉体力を備えているという外見と同時に、また苦境にあっても、その明朗さと親切を失わず、その心持や精神が危険や不意の打撃にも耐えられるのだという印象を保持することを願う。貴族的な教養は、情熱の点では、癇癖で倨傲な馬に、スペイン風の足踏みを踏ませて喜ぶ騎手に似ているか──ルイ十四世の時代を想像すること──、もしくはその馬が嵐のように自分の下で疾駆するのを感じ、馬も乗り手も気が遠くなる極限にありながら、それでもなお頭を高くあげる喜悦を味わう騎手に似ている。──どちらの場合にしても、貴族的な教養は力を呼吸する、そしてその教養が慣習的に、しばしばたんに力の感情の外観を求めるだけに尽きるとしても、この作為が貴族でないものに与える感銘により、またこの感銘の演技によって、実際的な優越感がやはりたえず増大する。──この優越感の上に築かれた貴族文化の争いがたい幸福は、現在さらにいっそう高い段階に登ろうとしはじめている、というのは、今こそすべての自由精神たちのおかげで、貴族と生まれ、その教育を受けたものも、認識の騎士修道会にはいり、ここでこれまでよりももっと精神的な高位につき、もっと高い騎士奉仕を学び、そしてかの勝ち誇る知慧の理想──それはまさに到来しようとする時代ほどには、これまでのどの時代も、疚しくない良心をもって、自らの前に掲げ得なかったものである──を仰ぐことを許され、またそれがもはや卑しむべきことでなくなるからである。」
(ニーチェ『曙光 第3書』)
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