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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<自らを暴力にする/自らに暴力をする

「Ⅰ 一切の暴力の根源には、何らかの目的の為の手段として使用するという枠内に決してとどまらない暴力があるのだ。「正義」を掲げ、悪に対する制裁、懲罰、矯正、教育、躾、等々として行使される暴力であっても、その根源では、その表明自体を目的としその顕現そのものを享楽する暴力が作動している。
Ⅱ ベンヤミンは暴力のこの根源を「運命的暴力」と呼んだ。この根源的暴力の対象となった相手は、暴力の結果として罪ある者となる。暴力は相手が罪ある者だからその結果として行使されるのではない。逆である。まず行使され、発動されたその暴力が結果として相手を罪ある者にするのだ。
Ⅲ この運命的暴力が、あらゆる歴史の根源にある。歴史に運命的暴力を免れている純粋な領域などない。一切はそれに汚染されている。
Ⅳ 神話的暴力と別に神的暴力という純粋な暴力があるのではない。運命的暴力があるだけだ。それが自己を二重化しているだけなのだ。
Ⅴ だが、その暴力が〈自ら暴力にする(se faire violence)〉そのことがそのまま〈自ら暴力をする(se faire violence)〉瞬間がある。暴力自身がそれ自身の中に、それ自身と異なり、それ自身から遅延する自己を分岐し、それが前者の暴力に対して暴力を行使する瞬間があるのだ。その瞬間、その暴力の内部に乖離として断念/放棄が出来する。ベンヤミンはそれを「脱措定」と呼んだ。
Ⅵ それは運命的暴力の中で言語として、そしてその言語において生起することがある。」
(山城むつみ「ベンヤミンのメキシコ学──運命的暴力と翻訳」)
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