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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<Re: 未知の「他」の文法

「交換不能なものに憧れながら、誰もが自分を交換可能なものとして差し出すしかない構造が現代であって、比喩的には娼婦と客の関係がすべてを覆っている かといって性差を復活させて差異を無理くり作り出すのも不毛 そこにある差異を地道に育てるしかないと私は思うけど、そうしたとてそれに気付く人がどれくらいいるのか

言葉を他者を操作するものとしか思っていない人のなんと多いことか スマートな支配が頭の良さとして憧れの対象になる時代に私たちはいて、対抗しようとする人もまたお手軽な支配に飛びついては自分の感情を他者に認めさせることばかり考える

推しだってアディクションでしょ、「がんばる」しかないことの空虚を誰かに押し付けて、それでまた自分を不可能な享楽に追いやる、その繰り返し

自分へのサディズムと他者へのサディズムが無限に循環してる いかにそれを祝祭的に見せたところで何も変わらない 変わらない苦痛、変わらない日常があるだけ

今の世の中を見渡したときに、制度を批判することが制度からの庇護を求める欲求にまた合流していくっていうサイクルがあって、でも優しい父性のほどほどな去勢こそがこういった磁場を支えているとすれば、必要なのはむしろまっすぐつながろうとすること、つながろうとすることによって切断する身振りじゃないかと思った

浅田彰が西洋美術館の現代アートの展示に生命維持装置につながれた未熟児のようと言ってたのがじわじわ効いてきた 新しい制度やつながりの文法を立ち上げない行為に何の意味があるのだろう パターナリズムのバリエーションを増やしてるだけだ

法哲学と法哲学の対話は、SF的な想定が入ってきたりして性格の悪いオタクに刺さりそうな要素があっておもしろい ある体系を考えて、それを現実に適用したときの振る舞いを考える能力はこれからますます重要になると思う
文系的な想像力は目の前の事象をとらえる力は強いけど、その展望を見通す力は弱くなりがち 理系的な構想力は体系の完璧さのためにノイズを切り捨てがち 両方の交点に、目の前の事象から出発して、その揺らぎも捉えながら未来を構想し、論理的な思考によって未定な領域を定めつつ、空白への感度をまた構想にフィードバックするような想像力が生まれてくるのだと思う」
(conceptionfork.bsky.social「Bluesky拾遺」)
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