「ゴダール 私は自分の仕事が批評され、自分はどの点で間違っていたり正しかったりしたのかを知ることを強く必要としています。でもその場合、そのことの証拠が示される必要があります。私は自分ひとりで自分の映画を裁かなければならなくなることを恐れているわけです。私は批評されることを、ただし明白な証拠をもちいて批評されることを必要としているのです。かりに私が犯罪をおかしたとされるとすれば、私はあなたに、私にその犯罪をおかす理由があったかどうかを証明する証拠を示すよう求めるはずなのです。あなたが私の最新作について書いた批評は読みました。でも私には、あなたがあの映画を気に入ったかどうかはどうでもいいことです。私がほしいのは証拠なのです。
ケイル まさか。どうでもよこうはないはずです(笑)。
ゴダール いや、どうでもいいことです。
ケイル そんな……
ゴダール いや、まったくどうでもいいことです。私が望んでいるのは、批評家たちがより多くの証拠を与えてくれ、それらが私に次の映画のためのアイディアをもたらしてくれるということです。」
(「映画批評の経済学──ジャン=リュック・ゴダールとポーリーン・ケイルの討論」)