忍者ブログ

Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<情念と哲学

「感情の退化は客観性の増大をもたらすから思惟にとってプラスである、あるいは少なくとも思惟とは無関係であると考えるのは、それ自体、愚鈍化が進行していることの現われである。……思惟の客体化は枝葉末節にいたるまで衝動に養分を仰いでいる。したがって衝動を損なう思惟はそれ自体の条件を損なっているのである。たとえば記憶にしても、亡びて行くものをなんとかして繋ぎとめようとする愛情の念と切り離すことができないのではあるまいか? どんな想像の働きも、現存するものの要素を──それ自体を裏切ることなく乗りこえながら──転位させようとする願望の所産ではあるまいか? この上なく単純な知覚でさえ、当の対象に対する不安もしくは欲望によって形成されているのではないか? たしかに認識の客観的な意味は、世界の客体化が進むにつれて衝動の根からしだいに遠く引き離されてしまった。また対象化する働きが願望に呪縛されている認識など、ものの役に立たぬことも事実であろう。しかしそうした呪縛を振り切る想念の中に揚棄された衝動が脈打っていなければそもそも認識というものは成り立たないのであり、自らの父である願望を殺める想念は早晩愚昧化の復讐を受けるのが落ちである。……ところで欲望の触手である予見など一切認めない制御の機制が働いて知覚が去勢されることになれば、知覚はいやでも既知のものを型通り無力に反復せざるを得なくなる。既知のものしか見てならないということになれば、その結果犠牲になるのは何よりも知力である。生産至上主義が罷り通り、向うべき目標を失ってそれ自身と外部権力の物心崇拝にまで身をおとした理性は道具としてさえそれにつれて退化するのであり、その思考装置をもっぱら思考を妨げることに用いている理性の役員にちょうどお誂え向きのものとなるのだ。感情の名残りを払拭された場合、思考に残されるのは完璧な同語反復だけである。」
(アドルノ『ミニマ・モラリア 第二部』)
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

プロフィール

HN:
trounoir
性別:
非公開

P R