「六十代の私の舞台は新潟だったなとも、ふと思った。新潟に住んだわけではないが、五十代の終り頃から六十代にかけての十年余り、私の身の上に起ったことのすべての背景には新潟がある。六十歳になった頃、私はよく青春ということを言ったが、それは私の実感だった。六十歳になって、私はいろいろのものがよく見えるようになり、自分の心の動きが急に自由になったような気がしたのだ。一方、肉体的な衰えはまだ感じない。そして、だからこそかもしれないが、まだまだ無分別な行動に自分を投げ込み、そこから当然起こる面倒を恐れないだけの気力もある。とすれば、これを青春と呼んで差し支えないだろう。」
(洲之内徹「帰ってきた郵便屋」)