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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<好きだけどただ好きだというだけ

「花世の時に比べれば夕記子への思いは最初から淡かったと言える。夕記子のことを考えて寝苦しい夜を明かしたこともなければ、一生一緒にいたいと思い詰めたこともない。好きだと言い交わしたこともないし、その種のことばを聞きたいと望んだこともない。夕記子にしたって私などに執着はないだろう。激しい行為はあっても夕記子と私の熱情は沸点に達することはなく、最近の彼女のことばを借りれば私たちは「かわいそうなカンケイ」しか持てないでいた。
 正直なところ、私は夕記子に恋していないのであった。好きではあっても愛情を抱いてはいない、との自覚は常にあった。夕記子以前に花世を知らなかったなら、あるいは夕記子に恋していると思えたかも知れない。だが花世と逢ったせいで、私は熱情が沸点に達するとどうなるか憶えてしまっていた。だから恋でないものを恋と錯覚することはあり得なかった。
 花世とのことの記憶が次の恋の発展を妨げているわけでは決してない。現に私はある友達のことが心に喰い込んで来つつあるのを放置している。花世とのことは、ただ、私の脳に刷り込まれていてもはや消えないだけなのだ。不思議ではある。否応なしに脳に刷り込まれてしまう人々と、おそらく一生忘れないだろうとは思えても心にぴったり重なっては来ない人々がはっきりと分かれてしまうのは。」
(松浦理恵子「いちばん長い午後」)
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