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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<思想小説空間

 ……
 たとえば、このごろはみんな言い出したけれども、おそらく僕は早いほうだろうと思うけれども、倍率一倍とか、等身大だとか。だからリアリズムなんていわないで、倍率一倍という。そして、はたして倍率一倍でリアリズムが成り立つかどうかと考える。たとえばこれを光学の話になれば、倍率一・二五倍じゃないと、レンズの視界とレンズの外の視界とは接続しないんです。というのは、望遠鏡という枠のなかで見ますと、倍率一倍では小さく見えるんですね。それだけの錯覚修正するために一・二五倍しなくちゃいかんというようなことを放浪しながらいろいろ考えたんです。文学するということは、作家が彼の思想芸術空間をつくることですね。そして、その内部にわれわれを閉じ込めるということですね。
 だから、たとえば魅了されるということ、これは本当にいい作品だなと思って、われを忘れさせられるということは、その思想芸術空間の内部にひきずり込んで、外部から人ごとのようにそれを眺めているということができないようにさせることでしょう。だから、魅了ということは外部から内部への移行である、そういうようなことを考えていたんです。海や山や雲を眺めながらね。
 …………
 ……これは金田さんに申し上げるんだけれども、小説というものは小説空間をつくるものだと。その空間は、命題によってある一つの空間をつくったと。これはなんの力を借りるかというと、哲学の力を借りる。その哲学なるものは、小島さんご自身に、あるいは僕自身に聞いたら、妙な哲学論を言うかもしれないけれども、それは作家としての哲学ですからね。だから哲学なんかないつもりで書いておっても、素晴らしい作品は空間が創造されているから、すなわち哲学はあるということになるんですね。」
(森敦+小島信夫『対談・文学と人生』)
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