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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<失愛のプロ2

「よく思想は実践され現実化しなければならないといわれる。しかし、果たして思想の力は、実践や現実化にあるのか。なぜなら、グローバリズムにおいては、実践や現実化はマニュアル的無能化の要素が大きいからだ。もし、そのような無能化を否定しようとするなら無意味な実践や現実化にしかあるまい。(posted at 02:57:06)
思想の力とは、分かりやすく恋愛に喩えれば、恋愛成就ではなく、恋愛の失敗、失恋に耐え、その現実を肯定し、そのことにより失恋を、未成の恋として持ち続けることにあるように思う。(posted at 03:03:04)
だから多くの人間は、思想など求めたりはしない。未来の恋よりも、恋愛の成就の方が良いからだ。しかし、成就した恋愛は恋愛ではなくなる。もし、恋愛の成就を持続したければ、恋愛成就の中に失恋の要素を持ち込むことかもしれない。なかなか会えないとでもいうような。(posted at 03:19:26)
親しい女性によれば、遠く戦場か何処かにおり、ほぼ会うことが出来ない最愛の恋人を、たとえ身を持ち崩してでも、そして待つことが永遠になってしまおうとも待ち続けることが恋愛とのことだ。これは、距離の問題でいえば、相互の未知性の許容的肯定になるのだろう。(posted at 03:58:17)
トー マス・マンの『トニオ・クレーゲル』によれば、待つ者は敗者であるとのことだ。そうだろうか。待つことは敗北を先送りすることでもあり、敗北には至っていない。つまり失恋していてもそれは未成化されるのであり、未成化は不可能性としての成就ともなるのではないか。(posted at 04:30:26)」
(千坂恭二@Chisaka_Kyoji「Twilog - 2016年04月02日(土)」)
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