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Lubricate us with mucus. ──2nd season 飛翔編

   Be fierce as fire is fierce.

( ゚Д゚)<強迫的社会 VS 反強迫的社会

「……それを踏まえて推測するのだが、エティオピアは私の知るかぎりもっとも非強迫的な社会であったのではなかろうか。日本の女官は、エティオピア宮廷の女官たちがテーブルに平行あるいは直角に食器を並列できないことを知能の低さに帰しているが、エティオピア文化の諸相をみると、そのような強迫に何の価値をも認めていないためで、知能や酸素不足と無関係なことが明らかとなる。ついでに言えば、逆にもっとも強迫性の高い文化の一つはヴェトナム平地民の文化であろう。この紅河とメコン河の二大デルタ地帯の農耕民──元来、南中国に発するが──の強迫的な完璧追求は、ヴェトミン軍の、タイヤの刻み目のような形に行なう道路破壊──それゆえ自転車は通行でき戦車はできない──や、レールをジャングルに持ち帰り、土堤を崩し、まわりの水田と同じ高さにして稲を植えて帰る鉄道破壊から、南ベトナム露天商の玩具の精密な並べ方まで、枚挙にいとまがない。
 逆に反強迫的エティオピアでは戸籍もなく結婚届もない。したがって、外人以外に対する殺人は、加害者・被害者の実在性(!)が問題となり、現行犯以外は見逃されてしまう。あらゆる領域で見せかけ、みかけ倒しがまかり通る。病院は建設されれば、内部にも何もなく誰も働いていなくても病院であると見なされる。名刺にいかなる称号を刷り込んでもかまわない。病院の光電比色計はとんでもない数値を出す──セル(試料を入れる石英ガラス器)を洗う意味を認めず、いやそもそも正確な数値の意味を認めないからである。しかし不潔さは血中免疫グロブリン量をスウェーデン人の十倍に保ち、はだしである限り、そこに寄生する菌の刺激がつくり出す免疫蛋白に守られて彼らは意外に健康である。言語的な伝達に信を措かないこの社会の人々は、しかし、一瞥にして相手の信頼性を正確に把握秤量する比類ない直観力をもち、生のよろこびは、徹夜で踊り、ついには乱交するコーヒーハウスの夜々にある。わが国人からみれば怠惰とだらしなさの極致だろう。しかし、彼らの価値とするものは別のところにもあり、生の甘美さもまた別のところにある。それを象徴するのは、一本の木から切り出され、一個の製作に数ヶ月を要し、もっとも幾何学から遠く、もっとも坐り心地のよい椅子である。ある場合には彼らの軍隊楽のように、衒奇的なまでに真剣となりうるのだ。
 しばしば外国人もこの国の魅力の虜になる。いかに尊大な構えも誇大的な自称も、許されることが魅力の人もいれば、また「女性のういういしさ」(それは処女も娼婦もかわらないという)に魅力を帰する人も、あるらしい。しかし外国人は長く住むと思考の輪郭はぼやけ、いっさいが茫漠としてくるようだ。これはエティオピア高原の酸素欠乏に帰せられる。しかし多くの中南米都市はアディスアベバよりはるかに高所にある。むしろあらゆる強迫性の欠如が一種の感覚遮断に似た状態を起こさせるのではあるまいか。われわれの社会は強迫的なものを大気のごとく呼吸しており、家庭と学校とを問わず教育なるものはとりわけ強迫性の緊縛衣を上手に着せようとするアプローチに満ちみちている。整列、点呼にはじまり、忘れ物調べと学校の日々は続く。」
(中井久夫「分裂病と人類」)
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