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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<文体における逆説3

「作家はほとんど無意志的追憶にしかその作品の原材料を求めるべきではないと私は思うのです。まず初めに、まさにそれが無意志的であり、同じような瞬間の類似性に惹きつけられてひとりでに形成されたものであるために、こういった記憶のみが真正なものの印を身につけているからです。次にそれは物事を、記憶と忘却の正確な配合において伝えます。そして最後に、まったく異なった状況において同じ感覚を味わうようにしてくれるのですから、この記憶は感覚をいっさいの偶然性から解放し、時間の外にあるその本質、まさに美しい文体の内容をなすところの本質、文体の美のみが翻訳することのできるあの一般的で必然的な真実を、われわれに与えてくれるのです。
 こんな風に私が自分の本について敢えて考察を加えるのは、それがこれっぱりも理屈の作品ではなく、どんな些細な要素も感受性によって供給されているからです。私はその要素をまず自分自身の奥底に認めたのですが、それを理解することができなかった。まるでそれが、どう言ったらいいでしょう、何かの音楽のモティーフと同じくらい知性の世界とは異質なものででもあるかのように、それを理解可能なものに変えることに困難を感じていたからです。これは微妙な言いまわしの問題だと、あなたはお考えのようですね。いやいや、そんなことはない。むしろ逆に、現実こそがここで問題になっているのです。われわれ自身が明らかにする必要のなかったもの、われわれ以前にすでに明らかだったもの(たとえば論理的な観念など)は、本当にわれわれのものではありません。それが実在のものかどうかさえわれわれは知りません。それは《可能なもの》にすぎず、それをわれわれが勝手に選んでいるだけです。もともと、こういったことは文体でたちどころに分かることなのです。
 文体というものは、ある人びとが考えているのとちがって、いささかも文の飾りではありません。技術の問題ですらありません。それは──画家における色彩のように──ヴィジョンの質であり、われわれ各人が見ていて他人には見えない特殊な宇宙の啓示です。一人の芸術家がわれわれに与える楽しみは、宇宙を一つ余分に知らせてくれるということなのです。」
(プルースト「プルーストによる『スワン』解説」)
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