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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<若さの痕跡

「つまり、本質はそれ自身において差異である。しかし本質は、それ自身に対して同一のままおのれを反復する力を持たない限り、多様化する力と、おのれを多様化する力を持つことはない。究極的な差異である本質について、本質を反復する以外に何ができるであろうか。なぜならば、本質は置きかえられないものであり、何ものも本質のかわりをすることはできないからである。すぐれた音楽は、繰り返して演奏されるほかはなく、詩は暗記され、語られるほかはないのはこのためである。差異と反復は、外見においてのみ対立する。偉大な芸術家の作品は必ず、《同じだが違っている》とわれわれに言わせる。
 ……実際のところ、差異と反復は、不可分で相関的な本質のふたつの力である。芸術家が年老いることがないのは、おのれを反復するためである。なぜならば、差異が反復の力であるのに劣らず、反復は差異の力であるからである。芸術家が年老いるのは、《脳の使用によって》、彼がその作品において以外では表現できなかったもの、その作品によって、区別し、反復すべきであったものを、でき上がったものとして、生活の中に直接に求める方がもっと簡単だと判断する時である。年老いて行く芸術家は、生活に、《生活の美》に信頼する。しかしもはや彼の持っているものは、芸術を構成するものの代用品、外在的であるためにメカニックになった反復、もはや軽くそして精神的なものにすることのできない物質の中に落ちこんで固定した差異にすぎない。生活は、芸術のふたつの力を持ってはいない。生活がこのふたつの力を受け取るとしても、その段階を落としてであり、最も低いレヴェル、最も弱い段階においてのみ、本質を再生する。」
(ジル・ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)
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