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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<iPhoneと俺たち

「僕は劇場に入って美術や照明や音響の最終調整をしてみたり、最後の稽古をしてみたり。演出家のはしくれとして演技指導なんかもするわけだが、まあ、なかなかこれが難しい。演技ってのは最終的には言葉では語り尽くせないものだから、最後は感覚や身体を含んだ問題になる。それを、言葉で伝える。(posted at 03:14:42)
最終的には、本人の身体を使って、本人の頭を使って、戯曲と、共演者と、空間と、音と、光と、向き合うしかないのが俳優だ。演技が成立するとき、それは言語によってではなく、あらゆる物事との繋がりの中で、関わりの中で成立する。俳優に、世界と、関わってもらう。なんともおこがましい話だが。(posted at 03:18:05)
俳優はある意味でとても不自由だ。台詞は決まっているし、外せない段取りもたくさんある。その中で、いかに逸脱し、いかに他者に対して自由に関わってもらうか。自分が自由だと信じてもらうか。と、その前に、自分は自分を自由だと信じているか。自由に関われているか。(posted at 03:21:46)
他人が他人であることを肯定しつつ、自分が自分であることを肯定しつつ、しかも、相互に関わっているという状態。そこへ至る道のはてしなさを思う。でも、そんな状態/瞬間は不意に訪れたりもする。最後は俳優が自分で到達するしかない。せめて粘り強く。いかに断念する瞬間を遅延させるか。(posted at 03:26:04)
俳優には当然プレッシャーもある。評価が上がれば尚更だろう。自分が自分に縛られる。それはプロとしてはありがたい試練だろうが、時には越えられない壁のようにも感じられる。ルールは、確かにある。約束事も確かに、ある。プレッシャーも自己嫌悪もいっぱいだ。その中で、飛ぶ。自由に飛ぶ。(posted at 03:28:32)
いつもの自分のまんま舞台に上る。そんなシンプルなことがものすごく遠い。役柄じゃなくてまんま私なんじゃないか? まずはそれでいい。むしろそれができればかなりいい。自分が舞台に乗ってenjoyすること。楽しむこと。何を楽しむ? 他者との関わりを。空間との関わりを。その、時間を。(posted at 03:34:24)
ワイルダーの『わが町』ではないけれど、なんでもないシーンにも楽しめるだけの関わりはたくさんある。等身大の自分でそれを楽しめている人は、すでにかなりいい状態だ。確かに、所定の期間稽古を経て、しかるべき水準の演技に到達しなければならない。ただ、窮屈なその場所で心から楽しめるように。(posted at 03:37:53)
人間は、特に大人は、これまでの人生の関わり合いの中で多くの傷を負ってきたはずだ。だから赤ん坊のようには世界と無警戒に関われない。iphoneを食べようとしてみたり、もう出来ない。世界は危険だ。他者は恐ろしい。だから独りで楽しむクセが、みんなにある。もう一度、信じて、関わること。(posted at 03:42:07)」
(広田淳一@binirock「Twilog - 2017年05月11日(木)」)
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