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Lubricate us with mucus. ──2nd season 人間将棋編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<皮膚と内臓

「まあ、まず70年代以降のノイズと音響について語りましょう。それから遡りましょう。ミュージック・コンクレートは音の発見としてはノイズの発端だろうけど、その意味付けはまったく違うんだよね。70年代以降、つまりスロッビング・グリッスル以降だけど、そこでのノイズとは「世界との摩擦音」そのものなんだよね。非常に政治的な訳だ。あいつらが自分のレーベルに「インダストリアル・レコード」と名付け、1stに「ミュージック・フロム・デス・ファクトリー」と記したのも、それ故。つまり、もちろんアウシュビッツに代表されるような人間の「死の産業化」(それまでは人間はまがりなりにも敵/味方として、あくまで人間として殺し合っていたのが、アウシュビッツにおいてもはや人間はモノとして産業的に殺されていく)があり、70年代末に彼らが感じたのは、世界の産業化に伴い今度は人間の「生の産業化」だったんだな。そこで産業を代表する「工場」、その機械的ノイズを楽音として用いると。俺らがこれから話すのもまずはこれから。
 …………
 君は初めてノイズ音楽を聴いた時、どう感じた。嫌、だとは思わなかった? 俺は、いまでも嫌、だね。自分で作ったりも、相当聴きまくったりもしているのになんで?って思うかもしれないけど、だからこそ作るし聴くんだよ、俺の場合。自分が、嫌、だって思うこと、それ自体の中になにかがあると思ってるから。「世界の摩擦音」に、それがどんなに醜悪な音で、みんなが嫌がっていようが、耳をすませていたいから。
 …………
 俺がノイズなんかよりよほど気味が悪いと感じるのは、例えばクラシックの表面的で甘ったるいオーケストレーション。特にカラヤン。あの、いかにも「音の向こう側」を希求しているようでいてその実は空っぽな音楽を、指揮者・演奏者・視聴者が皆「向こう側」を自分達が感じていると信じている光景は、寒い。巷に溢れるポップスにも言えることだが、空っぽなことは別に悪いことじゃないんだが、その向こう側に何かがあると皆信じているようで不気味なのだ。たまにそれが芸術とか言っちゃったりしてて。ノイズってその特質からしても、あらかじめ表面にしか存在しない音だから、はるかに潔い。」
(nos/unspiritualized「音楽対談(ノイズ・ミュージック)」)
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