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Lubricate us with mucus. ──2nd season 飛翔編

   Be fierce as fire is fierce.

( ゚Д゚)<愛することを学ぶ6

「私はここから再び読み返す。だが、本章は、右に見て来たところから次の一事を確認することで満足せねばならない。リザヴェータから「愛の業」を受け継いだソーニャの「おとなしい眼」は、静かに、緩慢に、しかし着実にラスコーリニコフを侵食している。《私は殺した》と世界に聞えるように言いなさいと彼に命令したとき彼女が見せた、黙示録のキリストの、焔のごとき眼を思い出そう。彼の自首を見届けようと警察署の前で凝視していた彼女の獰猛なまなざしを思い出そう。ラスコーリニコフがシベリヤで入院したときも、彼女は病院の門のあたりで何かを待つようにじっと立っていたが、そのことに偶然、気付いたラスコーリニコフはそこに何を見出したのか、何かに心臓を刺し貫かれ、びくりと震えて窓から身を離している。ソーニャの不気味なまでにおとなしい眼は作中、あの早朝に至るまで、いやそれ以後も彼を追いつめ、彼の秘密を刺し貫き続けてやまない。後からしか思えぬことだが、この長編は、犯行の前々日にマルメラードフからその身の上話を聞いたソーニャがおとなしい女でなかったなら、そして、犯行の日に、部屋に戻ってきたリザヴェータもまたそうでなかったとしたら、始まりようが、したがって終りようもなかった小説なのである。リザヴェータの登場する最初の章からエピローグまで物語の進行につれて、「おとなしい眼」が次第に作の中心を占めてすわってゆく。そして、そこに沈んだ、静かに光る恐ろしいものはムイシュキンの、やはり空色の瞳が秘めている不安と憤激の種子へと連続してゆく。読み返すごとに、そのことに気付かされる。圧倒的で読む者を不安にさせずにはおかないキリストの声がその都度、作の表層に迫り上がって来るようだ。長編の基底を、静かに、しかし不気味に蛇行しながら作の境界を超えて流れてゆくこの空色の単旋律こそ、ドストエフスキーが当初の一人称の語りを捨てて『地下室の手記』の、雪が垂直に降るあの風景を踏み破って追いかけた当のものではなかったか。」
(山城むつみ「ソーニャの眼──『罪と罰』」)
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