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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<ぼくはだれだ3

「「おれはいったいだれなんだ」と、ぼくは自分にどなりつけた。ぼくは膝を立てて寝ころんでいたソファーから起き上がり、背を伸ばして坐った。階段の間からすぐぼくの部屋に通じているドアが開き、顔をふせた探るような目つきをした一人の若い男が入ってきた。彼は、狭い部屋のなかで可能な限りソファーから遠いところを迂回して、隅の窓のそばの暗いところに立ち止った。ぼくはこれはいかなる種類の幽霊なのか調べたくなり、そこへ行ってその男の腕を掴んだ。それは生きた人間だった。その男は──ぼくより少し小柄だ──微笑しながらぼくを見上げた。彼がうなずいて「私を試してみて下さい」と言ったその無頓着さだけでも、ぼくを納得させるのに十分だったはずなのだ。それなのにぼくは彼のチョッキの前や上着のうしろをつかんで彼を揺すぶった。彼の時計の美しい丈夫な金鎖がぼくの注意を引いた。ぼくがそれを握ってぐいとひっぱり下ろしたので、鎖が止められていたボタンの穴が切れた。彼はそのボタンを切れたボタン穴にはめようと、しきりにむだな試みをしていた。とうとう彼は「なんてことをするんだ」と言ってぼくにチョッキを見せた。「静かにしろ」と、ぼくは脅した。
 ぼくは部屋のなかを回り始めた。並み足からだく足に、だく足からギャロップになり、その男のところを通過するたびに彼に向かってこぶしを振り上げた。彼はぼくの方を全然見もせず、自分のチョッキをなんとかしようとしていた。ぼくはのびのびとした気分を覚え、呼吸からしていつもとは変わってきた。そしてぼくの胸は、自分がぐっと大きくふくらむことができないのはただ服のせいだと感じていた。」
(フランツ・カフカ『日記(一九一三年)』)
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