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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<法学的批評

「まず断定する。君はそう言うが僕はこう思う、というのは批評の出発点ではあるが批評そのものではない。見解Aに対してそれはまちがいだ、見解Bが正しい、と述べるのは、批評の必要条件ではあるが永久に十分条件にはなりえない。Aが生成するのは何故か、相手がどんな理由でそう考えてしまうのかを、その具体的な言動の一つ一つについて分析し、そこに潜在する認識上の前提C(CAUSA?)にさかのぼって相手を叩く、それ以外にイデオロギー分析=批評の原則は存在しない。しかも(以下がもっとも重要だと私は思う。そうでないと、イデオロギー分析はそれ自体イデオロギーになるから)、我々がそうするのは、相手の主張を先回りして完封するためでは絶対にない。批評は対象の認識=所有=支配とは全く違う。……では、最後の一歩手前までは無遠慮かつ徹底的に相手を分析する義務が我々にあるのはなぜなのか。──それは、自己批評こそ批評にとっては不可欠だからだ。お高く止まる限りで見せなくてすむ(と思いこんでいる)手の内一切を率直に示し、そのことで対象と自己を真に分離しうる基盤を作ること、それこそが批評にとっての「自己批評」だからだ。」
(鎌田哲哉「批評と放蕩」)
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