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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<偶然の設計

「以前私は、結婚以来十数年に亘って不仲でありつづけたと双方が主張しあう、学者夫婦とでもいうべき夫婦から相談を受けたことがあります。ご夫婦のつながりは、これは頭で、頭脳でつながっているような、双方が学者でその専門領域では競争しあいながらも依存しあうという関係でしたかね。ある意味では兄妹みたいな関係で結びついているご夫婦でした。で、どうして相談に来られたかというと、(奥さんが来所されたわけですが)ご主人は非常に正確にものを言われる方で、帰宅されたご主人に奥さんがものをいいかけると「お前の話コトバには言いそこないが多い。文章は文法にかなっていないし……」と毎日のように指摘しつづける。あげくのはてには「一度精神科へ行って診てもらってこい」と、こう言われて来ましたと言うんですね。これはなんとも不思議な主訴でありまして、こんな奇妙な主訴はめったにない。ひょっとしてこの中に何か真実があるのではないかと考えたわけです。……それで面接を続けて、いろんなことがわかってきたんです。(プライバシーを守るために詳細は削除させてもらいますが)こういう場合でも頭だけでなく、目に見えないところでつながっているようです。双方が意識もしていないところで、このご夫婦はやはりどこか相性があるにちがいない。それはほとんど生理的なものかもしれないし、あるいは心理的なものかもしれない。心理的といっても意識できないようなところでかもしれない。だけどお互いに要求しあい、求めあい、あるところで満たしあっているんだろう。ただ、それは安定した満たし方ではないだろう、等々と連想を働かせてみる。ではどうして今になって私のところへ来られたんだろう。十数年つづいた「関係」がどこか変わろうとしているんじゃないだろうか。
 ……で次はそんなこと、なんかしなけりゃいけないだろうと考えていたんだけど、それよりも先にこの奥さんは失神発作をおこされまして救急車で運ばれた。これは心因性発作としては大変な、深いレベルの発作です。そういうことが起こったのです。これはそれ自身がすでにいろんな形で意味があるわけでありまして、ご主人の態度は当然変わってくる。男性というものは、奥さんにはいくら怒ってもなにしても、「こわれない」という感じを持ちがちです。この相手がこわれないという感じが、なにか少し変わったみたいでしたね。でご主人が私に手紙をよこされた。その手紙はかなり乱れたものでした。文法にうるさい人だったはずですから、これはグッド・サインだと私は考えたわけです。ご主人の非常に硬い殻が破れてきたのではなかろうかと。今後はともかく、こういうハプニングが意外な展開を生むことがありうるわけです。
 実際、われわれが仕事をしていく上で重要な助け手は「ハプニング」ですね。偶発事は非常な活用性がある。そういうと“神頼み”みたいに聞こえるかもしれませんけど、偶発事は空から降りそそいでいる宇宙線みたいに絶えずわれわれに降りそそいでいて、ただ気がつかないだけのことが多い。最近、精神病院のあり方についていろいろいわれてますね。格子があるとかないとか、取り払った方が良いとか。無ければ無いにこしたことはないでしょうが、時には拘束が必要な場合もある、現実には。しかし何よりも強く私が感じていることは、現在の精神病院の生活には、ハプニングが少ないということです。つまり、驚きを伴った意外性のあるものは、われわれを生かしてくれる大きなものなんですね。みなさんの人生において、もし意外なことが無くて、すべてが予見されたことだけでできていたとすれば、退屈のあまり今まで生きていないかもしれない。配偶者を選ぶ時は、すべての女性を念頭に入れ必要十分な理由をそろえて、そこから必然的に選ぶのではありませんで、だいたいハプニングの産物であります。といって行き当たりばったりでもない。……精神科の仕事をしていても実際そうなんだと思いますね。われわれカウンセリングに従事している者は、時に人間は「必然」にもとづいて行動するんだと錯覚しがちですが、逆にわれわれはいろんな偶発的な事態というものをどう生かすかということを考えておくことが必要なんでしょうね。そしてその間でゆれる仕事ですね。しばしば偶発事に助けられて、ようやく仕事をしているというのが、まあ私の偽らざる実情です。
 …………
 クリスマスとかバレンタイン・デーとか祝日とかいうのは、そこでいろんな偶発事が起こるためにあるんですな。偶発事ばかりでも人生は成り立たないが(それはブラウン運動を起こしているようなものだけど)しかし必然だけでは、それこそ能動感を失って操られているのと同じですね。必然に従って生きるというのは、要するにレールの上を走ってるわけですから能動感が無くとも不思議でない。偶然についても「偶然だのみ」というのはしょうがない。それに偶然を無理に起こさせる訳にはいきませんので、仕組んだものはすぐバレます。そんなことはこっちもおもしろくないですから、こっちがおもしろくないのに患者がおもしろいはずはないですね。しかし面接をやっていると意外な偶発事があり、時には患者は治療者が知らない世界で自分を発展させることが結構あります。」
(中井久夫「家族の臨床」)
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