「だれにも自負があり、また、これが性格のほとんど全体をなすのである。それゆえ、非難や嘲笑、最後に判断は、慎重でなければなるまい。人は得心によって意地悪になり、頑固になり、愚かにさえなりうることは、あまりにも明らかである。私たちには信用が必要なのだ。「きみはそういう人であり、それをどうすることもできないのだから、私はきみをゆるす」と言うのでは、悪いゆるし方である。真のゆるしは、反対に、「きみはそういう人でないことを私は知っているから、きみをゆるすのだ。きみが見せているものはまだきみではない」と言うのである。これは、ソクラテスが模範を残したあの真の討論のうちにはっきり見られるとおりである。いわく、「きみが言っていることは、まだ完全にはきみが考えていることではない」と。それに、ひとりの人間の行動は、彼の言葉よりはるかにほぐしにくいものである。要するに、真の慈愛は性格を消し、人間をさがす。」
(アラン「気質と性格」)