「私は、いつもそばにいてくれる男のひとが好き。ほんとうのことを言えば、会社にも行ってほしくない。トイレにも、一人では行ってほしくない。床屋だけは別。床屋に行って、髪が短く清々しくなり、いい匂いをさせて帰ってくる男の人と再会する幸福のために、床屋の一時間だけは離れて待っていてあげる。
でもいまのところ、そんなにそばにいてくれる男のひとには会ったことがない。
女友達にその話をすると、みんな呆れ顔をする。そんなにいつも一緒じゃわずらわしい、と言う。私だってきっとわずらわしくなるはずだ、と。
そうかなあ、と私は疑う。説得されても納得がいかない。呆れ顔をしている女友達についてさえ、ほんとうは、一人ずつの胸の内では、いつもいつもそばにいてくれる男のひとが欲しいと思っているはずだ、と疑っている。
社会生活をしていく上で、望んでも無理なことがわかっているから、望んでいないふりをしているのだろう、と、思う。」
(江國香織『泣く大人』)