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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<「愛」という外来語

「雨が降っている。雪になった。風も吹き荒れている。ミシェルの最後の靴底も凍てついた泥に溶けてしまう。あいかわらず咳がつづき、喉が痛い。鼻が赤く頬は緑色、背中をまるめた彼はみるもあわれというしかない。氷雨で肩に貼りついた上着の襟を立ててガタガタふるえ、足は濡れ、雨のしみこんだ帽子からは雫が垂れ、とるにたらぬステッキの握りはズボンのポケットにつっこまれている。彼は安食堂から出てくる。出された食物は流しのにおいがしたし、際限もなく噛んだあげくにやっとの思いで飲みこんだものの、およそ腹の足しにはならなかった。ろくに拭かれてもいない大理石のテーブルについたときよりもっと腹が空いた感じで、夜まではたばこがいっそう口を苦くするだけだ。清潔な白いテーブルクロスの上で十五フランのちゃんとした食事をとったら身も心も温まり、力も沸いてきたはずなのに、彼はそんなことを考えもしない。そういう対策がありうることさえ忘れてしまったのだ。一連の仕種、あらゆる仕種のなかでもっとも機械的な、もっとも安上がりな仕種に彼は縛りつけられている。自分のそばにアンヌ=マリーがおらず、無限につづくように思える時間、ほんのわずか生命をたもつために不可欠な最小限の仕種だ。手もとの七十フラン──いや、夕食分を払ったから六十五フラン──で、この人生の六日はまだ生きられる。彼の頭はその先まではまわらない。あと六日あれば、アンヌ=マリーが彼に愛をあたえてくれるかもしれない。そうすればあらゆる奇蹟をなしとげることができるだろう。しかし今日は鎖が断ち切られている。アンヌ=マリーに会えないのだから。」
(リュシアン・ルバテ「第二十七章 泥まみれの春」)
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