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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<世界の美しさだけを信じていた頃の俺は何処へ?

「そもそも、何でもいいから書くことで生活したいという気持ちは、私にはない。むしろ言葉は苦痛である。書くことも読むことも。ではなぜ書くのか。それが世界すべての幸福に通じていると信じるからだ。このような言葉が、結果として資本制を回転させるどころか、資本制の剰余の上に許された欺瞞でしかなかったとしても、私は、そのような全的な希望を抜きに、一行も文章を書くことができなかった。
 二十代初頭から宮澤賢治について考えてきたのもそういうことだ。彼の詩や童話が好きだったのではない。彼が「あらゆる生き物のほんとうの幸福」という理念を受肉した存在だったからだ。その言葉や実践には隙がない。そういう存在は他には見当たらなかった。どいつもこいつも不徹底に思えたのだった。他人のことは当然のように批判するくせに自分のことはまるで問わない。それをおかしいと考えたことがないし、指摘されると内省するどころか、むしろ声を荒らげて正当化しようとする。そういう人間たちが集団で卑怯な暴力を振るっていく。そんな光景を何度も見てきた。子供の頃から人生の要所で味わってきたイジメやリンチなどの卑劣な集団暴力。これが人間の本性なのか。そうではないはずだ。それに対して怒りを感じる心がある。この怒りを、愛と正義へと回転させることができれば、人類はきっと別の何かに生まれ変われる。即効性を求めてはいない。十年かかろうが、百年かかろうが、千年、万年かかろうが、かまわない。賢治だって足りないところはいくらでもあった。それでも永遠的に試みようとした。殺し殺される生存の暴力の連鎖のなかで、言葉と資本という暴力を鋭敏に感受し、それを本当の幸福に導こうと苦闘した。」
(大澤信亮「出日本記」)
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