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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<文学青年テンプレート

「しかしほんとうの文学とはこういうものではない。私が文弱の徒に最も警戒を与えたいと思うのは、ほんとうの文学の与える危険である。ほんとうの文学は、人間というものがいかにおおそろしい宿命に満ちたものであるかを、何ら歯に衣着せずにズバズバと見せてくれる。しかしそれを遊園地のお化け屋敷の見せもののように、人をおどかすおそろしいトリックで教えるのではなしに、世にも美しい文章や、心をとろかすような魅惑に満ちた描写を通して、この人生には何もなく人間性の底には救いがたい悪がひそんでいることを教えてくれるのである。そして文学はよいものであればあるほど人間は救われないということを丹念にしつこく教えてくれるのである。そして、もしその中に人生の目標を求めようとすれば、もう一つ先には宗教があるに違いないのに、その宗教の領域まで橋渡しをしてくれないで、一番おそろしい崖っぷちへ連れていってくれて、そこで置きざりにしてくれるのが「よい文学」である。
 したがって、さっき言ったような二流の人生小説に目ざめる人たちはまだしものこと、一流のおそろしい文学に触れて、そこで断崖絶壁へ連れてゆかれた人たちは、自分が同じような才能の力でそういう文学をつくれればまだしものこと、そんな力もなく努力もせずに、自分一人の力でその崖っぷちへ来たような錯覚に陥るのである。
 その錯覚からはさまざまなものが生れる。自分は無力で、文弱の徒で、何の力もなく、この人生を変えることもできず、変革することもできないけれども、自分の立っている位置はあらゆる人間を馬鹿にすることのできる位置である。あらゆる人間を笑うことのできる位置である。それは文学のおかげで得たものだから、自分はたとえけんかをすればたちまちなぐられ、人からは軽蔑され、何ひとつ正義感は持たず、電車の中でタバコを吸っている人がいても注意することもできず、暗い道ばたで女の子をおどかしている男を見てもそれと戦うこともできず、何ひとつ能力がないにもかかわらず、自分は人間の世界に対して、ある「笑う権利」を持っているのだという不思議な自信のとりこになってしまう。そしてあらゆるものにシニカルな目を向け、あらゆる努力を笑い、何事か一所懸命にやっている人間のこっけいな欠点をすぐ探し出し、真心や情熱を嘲笑し、人間を乗り越えるある美しいもの、人間精神の結晶であるようなある激しい純粋な行為に対する軽蔑の権利を我れ知らず身につけてしまうのである。」
(三島由紀夫「文弱の徒について」)
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