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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<苦しみから入って苦しみから出る

「作品の味わいという様なものは、立派なformでも獲得した後はともかくまだ若いうちは念入りに念入りに苦労する事よりほかに生まれる道は断じてないものだ、苦労が結局作品の匂いとなり□〔一字不明〕うべからざる魅力となって作者も知らない処に出て来るものである、あの小説には器用に描かれてはいるがそういう一種の気力がかけているのだ、これは恐らく作者の心がさわがしい処から来るのだろう、一体自嘲的な気持を書こうとする事は、最も難しい、自笑というものが美しくなるためには自笑はほとんど狂気の様な状態にならねばならぬのだ、つまり自笑、自己厭嫌というものはいいかげんな処ですましておいては、或いは、いいかげんな処までしか行きつけないなら、読者にもっと高い自笑をもっている人は沢山あるのだからそういう読者の共感を得る事は出来ぬ、さてそうなるとあの女主人公を描く事はつまり自分の自意識の論理の問題となる、そこで芸術とは人格の修養と少しもかわる処がなくなるわけだ、そしてこれが一生の問題なら一生修養において解決がつかなければ一生何も書けないわけだ、ところが芸術家というものは、解決がつかないなりに色々と仕事をする、つまりあの時の気持、この時の気持なんてものが書きたくなるのである、それでよろしい、そこで問題が今まで倫理の問題であったものが美の問題に移るのである、……文学というものは結局人間がかければよいには決まっている、だからドストエフスキーの様な非常に文学的な文学者にとっては画や音楽を味わっている暇がなかった、しかし彼の如きは希有の天才である、彼を真似る事はよい事だが凡庸の才ではとても苦しい事である、だから凡才は文学を創るに画や音楽の助力でimageを鮮明にするより道はなくなるのである、……」
(小林秀雄「妹冨士子宛書簡」)
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