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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<わたしを殺す2

「ヤオイという形式を借りて変奏しているものの、私は欲望の中核にレイプ願望を持っている。私の持つレイプ・ファンタジーは〈私〉殺しのファンタジーである。それは、私の目の前にある「この私」を殺し、他者の中で「別の私」として生き直したいという願望である。「別の私」とは、「この私」を超えた〈本当の私〉としてイメージされている。つまり、私にとってのレイプ・ファンタジーとは、〈本当の私〉探しだったのだ。私は、あなたに殺され、あなたの望む私として生き直したい、という願望がレイプ・ファンタジーに重ねあわされている。注意しなければならないのは、私は〈本当の私〉を、「理想的な私」として描いているわけではないことだ。心理学では、しばしば〈本当の私〉探しという言葉は、「この私」ではない、もっと素晴らしい「あるべき私」を求めることを指して使われる。しかし、ここで私が指す〈本当の私〉とは、私すらも知らない〈私〉である。
 〈本当の私〉とは、「正しい自己認識」とは異なるものだ。認識できない、という点において、その重要性が担保されている。中身がわからないからこそ、知りたい。そして、この謎にこそ真実があるように感じるのだ。人はわからないものに対して、さまざまな想像をめぐらせる。極端な理想や、グロテスクなイメージも持つ。憧れとともに、不安を抱く。だが、〈本当の私〉は他者のみが知っている。そこで、他者により、〈本当の私〉を引きずり出してほしいと願うのだ。
 そして、レイピストの側である〈攻〉に同一化したとき、その構図は逆転する。私は、他者のすべてを受け入れる立場に立つ。私は〈受〉がどんなにもだえようとも、どんな過去を持っていようと、それを受け入れる。……私は、レイプする〈攻〉と同化したときにこそ、「理想的な私」を演じる。他者を無条件に愛し、受け入れる自己イメージを実現するのだ。〈受〉にとっての〈攻〉は、私以上に私のことをよく知り、私の知らない私を愛する、超越的な存在として想像されている。
 夢物語と違い、実際のレイプではドラマは何も起きない。レイプ被害において、被害者は〈本当の私〉などは獲得しない。一度奪われた自己の主体性は、被害が完了した瞬間に回復する。レイプ被害のもっとも残酷な点は、この瞬間がレイプ被害者に訪れることにある。……レイプによって被害者の「この私」を殺しても、〈本当の私〉は出てこない。ただ、殺された「この私」の亡骸を抱えて生きる被害者が出るだけだ。これは、「人を殺しても、復活しない」という、単純な事実である。」
(小松原織香「「レイプされたい」という性的ファンタジーについて」)
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