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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<ばらばらぼろぼろ

「さらに、「眺めるとき」と、「実践」するときとでは、人間は本質的には異った相貌を強いられる。いかに明晰判明たらんとしても、人間はその「実践」を完全に意識化しつくすことはできないからだ。われわれがいかに意識的にふるまい意志的にふるまったとしても、のっぴきならぬ「実践」においては、思いもよらぬ自己を見出すほかない。それは「心情」派でも「効率」派でも変りはない。恐ろしいのはこのことであって、たとえば夏目漱石はこの「恐ろしさ」を生涯考えぬいたのであった。
『こころ』を例にとってもいい。「先生」は、叔父に裏切られ自分だけはけっして裏切らぬと考えていながら、女が自分を愛していると知ったとき友人を出しぬいてしまう。人間はこんなものさ、と決めつけることができたら、漱石は自然主義者に加わっていただろう。つまり、漱石を苦しめたのは、たんなる罪感情ではなくて、自らをこうだと規定してしまうことができない「恐ろしさ」だったのである。」
(柄谷行人「「実践」とはなにか」)
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