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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<嫉妬をにくんで恋をにくまず

「恋をすると、議会の窮屈な席におさまって討論に耳を傾けているときも、敵の砲火を冒して前哨中隊の交代に馬を駆るときも、なにか眼とか記憶を刺激する新しい事物にあうと、人は必ずそれまで恋人について持っていた観念に新しい美点をつけ加える。あるいは恋人からもっと愛される新しい手段(それは最初すばらしいものと映る)を見つけたりするものである。
 想像の一歩一歩は恍惚のときによって報いられる。こういう境地をすてる気になれないのもむりはない。
 嫉妬が生れるときも同じ魂の習慣は残っている。しかしその生む結果は反対である。諸君のほうでは愛しているが、どうやら他の男を愛しているらしい女の王冠に諸君が加える美点の一つ一つが、諸君に天上の喜悦を与えるどころか、心臓に短剣を突きつけることになる。一つの声が諸君にいう、「このすばらしい快楽、それを味わうのはお前の恋仇なのだ」
 …………
 こういう状態では、とかく狂おしい怒りが生れやすい。恋においては「所有するとは何事でもない。楽しむのが大切だ」ということを忘れてしまう。恋仇の幸福を誇張し、その幸福が自分に与える侮辱を誇張し、苦悩の極みに達する。つまり一抹の希望が残っているだけになおさら苦しいこのうえない不幸に。
 唯一の療法はおそらく恋仇の幸福に近寄ってよくながめることだ。諸君は問題の女のサロンで、その男がいとも安らかに眠りこんでいるのを見いだすだろう。諸君のほうでは、その女の帽子に似た帽子を通りの遠くに見かけるごとに、心臓が止りそうになる女の眼の前でである。
 その眠っている恋仇を起こしたいのなら、諸君の嫉妬を見せることである。おそらく諸君よりその男を選んだ女の価値を、わざわざ恋仇に教えてやることになり、彼も初めて女を愛するようになって、さぞ諸君に感謝することだろう。
 …………
 嫉妬ほど苦しいものはないから、生命を賭けることなどむしろ愉快な気ばらしになる。そのときわれわれの夢想は毒されていないし、万事悪いほうにばかり考えたりしない。恋仇を殺すことを空想するのも一つの方法である。」
(スタンダール『恋愛論 第一巻』)
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