「ボクサーに喝采をおくる人々は崇高というものについてまちがった考えをもっているなどと、私は言わない。彼らは、彼らの偉大だと判断するものに喝采をおくっているのだから。一介の凡庸なボクサーでさえ、それまでになるには、あきらかに、苦痛、恐怖、疲労、飽食の快楽、怒り、さらには羨望までも(これが常住坐臥つきまとってやまない敵であることは、だれもが知りすぎるほどによく知っている)克服してきているのである。もし芸術の魅惑が見てくれの技巧など突き破って、マットの上に相手をノックダウンする一撃ほどの目ざましさで示されるものならば、世の大衆は、ボクシングの試合に押しかけるみたいに、劇場にも音楽会にも押しかけてゆくことだろう。ボクシングよりも、みごとな演劇や美しい音楽のほうに大ぜいの人々が押しかけてゆくだろうとは、私は言わない。ある芸術が別の芸術より本来人に好まれるなどということはありえないのだから。あらゆる勝利に甲乙はない。人目にあざやかな勝利と、そうでない勝利とがあるだけのことである。」
(アラン「崇高」)