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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<悪い魔法使い

「具体的なものが分裂し、非現実的なものになるというかぎりで、具体的なものはみずから運動するものとなる。分裂の活動は知性の力と働きであり、驚異的で最高の、いや、絶対的ともいえる力のあらわれである。内部で安定した円環をなし、がっちりとその要素を堅持する円は、単純明快な形としてそこにあるだけで格別に驚異を誘う関係を示してはいない。が、その囲いを外れた偶然の要素が、まだ束縛を感じつつ、もっぱら他の現実とつながりをもって、独自の存在となり、特別の自由を獲得するとなると、そこには巨大な否定力が働かねばならない。それが思考のエネルギーであり、純粋自我のエネルギーである。そこにうまれる非現実性を、わたしたちは死と名づけたく思うが、この死ほど恐るべきものはなく、その死を固定するには最大級の力が要求される。力なき美意識が知性を憎むのは、自分にできないことを知性が要求するからだが、死を避け、荒廃から身を清く保つ生命ではなく、死に耐え、死のなかでおのれを維持する生命こそが精神の生命である。精神は絶対の分裂に身を置くからこそ真理を獲得するのだ。精神は否定的なものに目をそむけ、肯定のかたまりとなることで力を発揮するのではない。なにかをさしだされたとき、それは無意味でまちがっている、といって、さっさとその前を去り、安んじて別のものにむかう、というのは精神のふるまいではない。精神が力を発揮するのは、まさしく否定的なものを直視し、そのもとにとどまるからなのだ。そこにとどまるなかから、否定的なものを存在へと逆転させる魔力がうまれるのである。
 この魔力は、さきに主体と名づけられたものと同じものである。主体とは、おのれの領域内にある内容に独立の存在をあて、もって、抽象的で一般的なありのままの存在を破棄し、実体を真理へと導くものなのだから。分裂や媒介を自分の外に置くような生気のない存在ではなく、みずから分裂し媒介する存在こそが主体と呼ばれるのだ。」
(ヘーゲル「まえがき」)
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