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Lubricate us with mucus. ──2nd season 飛翔編

   Be fierce as fire is fierce.

( ゚Д゚)<普通であることの難しさ6

「再び、演技が自己完結してしまうことについて。あなたは共演者が見えていない、一人でお芝居をしちゃってる、ひとりよがり、自己完結、あなたの演技は「届いていない」、そういった指摘は具体的にはどんな現象に対して言われているのか? そこから、どう逃れられるのか? (posted at 08:50:17)
一人で演じてしまうこと、それには肉体的な問題と、精神的な問題と双方がある。まず肉体的には、単純なことだが、見ていない、という問題が大きい。見て、聞いて、感じ取って、受け取って、動く。その習慣が身についていないと、自分の覚えたことをアウトプットするだけになってしまう。 (posted at 08:53:45)
今、ここで、受け取ることが必要だ。何かをもらうこと、それは難しいことじゃない。複雑なことじゃない。ちゃんと、息をする。呼吸する。特に、息を吐くこと。緊張で硬くなってしまった体から、力を抜いていく。つまり、脱力すること。筋肉をゆるめ、眉間に寄ったシワをほどく。 (posted at 08:58:23)
共演者と、観客と、空間と、ちゃんと呼吸できるようになるために、体をゆるめてリラックスする。稽古の段階では、あえてとてもゆっくり、ラクに、いつもより小さな声で演じてみるのもいいだろう。外部に、感覚を開いていく。出力を下げて、入力を高める。 (posted at 09:00:09)
それは単に情報を入手するということじゃない。安部公房の『箱男』じゃないけれど、自分というボックスの中から外部を覗くようにして情報を入手してもダメだ。自分もまた、その空間を構成する一部である。その人間関係を構成する一員である。見られている自分、を、自覚する。怖いけど。隠れない。 (posted at 09:02:11)
隠れないこと。それは、自分が影響を与えつつある世界、を、受け取り続ける、ということ。自分と相手役、あるいは世界とが呼吸している状態の中で演じられるように。そのために、見る、聞く、感じ取る、受け取る。 (posted at 09:02:53)
どうしてそれができないのか? どうしてそれが怖いのか? ここからは精神的な問題。まずは、自分が何を守ろうとしているのか、無意識に守ってしまっているものを見つめる。守ろうとして、強張っている筋肉に、精神に、気づく。 (posted at 09:04:10)
人間は自分を守りたい。当然だ。自分はちゃんとできるんだ、踊れるんだ、理解しているんだ、わかっているんだ、賢いんだ…。誰だって、そういう、良いものとして、自分を認めてもらいたい。すなわち、自尊の感情、というものが人には必ずある。プライド、と言ってもいい。それに、気づく。 (posted at 09:05:24)
自分はちゃんとできるんだ、ということを証明したいから、人は失敗が怖い。期待されている、というプレッシャーは、成功しなければ、という強迫観念に繋がる。責任感の強い人ほど、その怖れは強くなる。成功したいという野心もあるだろうけど、それよりも、失敗したくない、という怖れが強敵だ。 (posted at 09:07:55)
失敗したくない、という強迫観念は、こうしなければ、ああしなければ、という「べき思考」に連なる。それは時に人間に力を与えてくれるが、義務感や焦りは、表現からやわらかさと自由、遊びと楽しさとを奪う。怖くて、焦って、なんとか失敗しないようにと演じてしまう。 (posted at 09:09:51)
どうやったらそこから自由になれるのか? 容易いことではないけれど、「出来ているフリ」なんてもんは全部バレてしまうんだ、ということを覚悟するしかない。 (posted at 09:10:37)
他人から何かを受け取って動きたい、コミュニケーションの中でパフォーマンスを産み出したい、一人ではやりたくない、ウソはつきたくない! …でも、本番で、何も感じることができなかったらどうする? テンションがあがらなかったらどうする? ウソでも成立させなくちゃ、と俳優は焦ってしまう。 (posted at 09:13:36)
そこで焦っても無駄なんだ、ということを覚悟しなければ。ウソは必ずバレる。呼吸していない演技が、他者を、空間を巻き込んでいくことはない。だから、たとえ本番であれ、何も受け取れなかったら、受け取れなかったことを、受け入れるしかない。諦めるしかない。残念だが、そうするしかないんだ。 (posted at 09:15:10)
もちろん、本番では成功したい。失敗したくない。そのためにできることは、準備だ。それも、入念な準備。繰り返し稽古をし、集中力を高め、心を整えて本番に臨む。本番の最中に、焦って何かを取り繕おうとしても無駄。潔く、手放す。 (posted at 09:16:08)
自分がいかに自分を守っているか、できる私、を維持しようとしているか。その涙ぐましい「努力する私」を、愛を持って受け入れて、そして、捨てろ。私は、私。何もない。何もできない。それでも、私は私。その、手ぶらの、裸の、無防備な、とても怖い場所から演技を始めること。大丈夫、死にゃしない。 (posted at 09:18:19)
このシーンはこのぐらいテンション上げなくちゃ、このぐらい緊張感高めなきゃ、という焦りから、自分を開放してあげる。自由にしてあげる。その時、何もない、空っぽの演技になってしまうかもしれないことを覚悟する。代わりに、集中して、ちゃんと見る。ちゃんと受け取る。ちゃんと聞く。 (posted at 09:20:15)
自分から動くことを、勇気を出して一旦やめて、耳を澄まして、体を澄まして、ただ、そこにいる。共演者から、観客から、空間から、世界から、少しでも、わずかでも動かしてもらった感覚をつかむこと。そして自分も、手を伸ばす。 (posted at 09:25:32)
自分の弱さも、ズルさも、卑劣さも、安っぽさも、怠惰も、無知も、見栄も誤魔化しも、ウソも、自分からはよく見えている。見えていたほうがいい。だってそれは、舞台上ではすべてバレるから。ああ、恐ろしい。せめて、正直に。大したものではないけれど、自分はこれです、と。偽らないで済むように。 (posted at 09:33:24)」
(広田淳一@binirock「Twilog - 2016年04月25日(月)」)
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