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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<骨肉相食め

「「猿を聞く人」という句で芭蕉は、古来断腸の悲しみを猿の声に譬えてきた漢詩人たち、そしてその衣鉢を継承した本邦の文芸にたいして、「猿」の悲鳴どころか、「捨子の哀れげに泣く」声すら捨て置く自身の決意とその勁さを「いかに」と誇っている。
 およそ倫理や、社会道徳に迎合する事のない、人間主義、平和主義、人道主義といった美辞麗句を唾棄する精神が、風雅の本質にある。世俗の最も愛情こまやかな絆からさえ逃れ出る耽美への意志は、甘い夢を現世に投げかけるのではなく、逆に深く現世の真実を穿つ。
 芭蕉が、捨子を看過したのは、それが世間への決別であるからと同時に、彼自身も行く末が危うく、捨子同様明日屍を「野ざらし」にするかもしれない身の上にあるからだ。いわば、人は誰もが「三つばかりなる捨子」の様な存在であって、その点からすれば、誰も他人を真実に救う事など出来ないし、助けて貰う事も出来ない。
 それでは余りに寂しく辛いので、誰もが、助けたり、助けられた振りをしてごまかしている。唯「彼方」で生きる事を志した者だけが、人間たちの黙約を踏み躙り、骨肉相食む現実を暴かざるを得ない。
 此の世の、如何なる酸鼻であろうと許容する覚悟がなければ、風狂の徒は「四時を友」とする事が出来ない。あらゆる醜い想念や憎悪をも、厭わず我が心の動きとして眺めなければ、「見るところ花にあらずといふことなし。思ふところ月にあらずといふことなし」と断言できない。」
(福田和也「甘美な人生」)
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