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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<恋人-兄弟

「女性が娘として両親を見るとき、両親は自然の運動にうながされ、共同体のおだやかな証人のもとに消えていくものに見える。親子関係を踏み台にして娘は自立した存在となるのだから。両親との対等な関係のうちに娘が自分の自立を感じとることはない。──母と妻との関係は個の関係であって、それは快楽と関係する自然な面をもつとともに、ただ消えてゆくだけのはかない面をももっていて、まさにそれゆえに他の個人によって代行が可能な偶然の関係である。共同体精神から見た家庭にとっては、女性の関係の基本にあるのは感情のからむこの夫やこの子どもではなく、社会的な存在としての夫一般、子ども一般である。女性の共同体精神と男性のそれとのちがいは、個を気づかい、快楽を受けいれる女性が、直接に共同体のうちに身を浸し、個としての欲望にはとらわれないのにたいして、男性にあっては、個と共同性が分離し、それを自由に使いこなす、という点にある。ともあれ、妻のこうした関係には個別の要素が混じるから、その共同体精神は純粋ではない。が、共同の関係がなりたつかぎりで、個の要素はどうでもよく、自分の存在を他人のうちに認識するという側面が妻には欠けているのである。
 ところが、兄弟というものは姉妹にとって安定した対等の存在であって、両者のあいだの相互承認は純粋で、自然な関係が混じりこんではいない。だから、この関係にあっては、個がどうでもよいと考えられることはないし、個の共同体的な価値が偶然に左右されることもない。個としての自己が相互に承認されるさまは、血縁上の均衡が保たれていることからしても、両者の関係に欲望が入りこまないことからしても、まさに理にかなったものということができる。だから、兄弟を失うことは姉妹にとって埋めあわせようのないことであり、姉妹の兄弟にたいする義務こそ最高の義務である。」
(ヘーゲル「共同の世界──人間の掟と神の掟、男と女」)
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