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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<二千年の犠牲

「「……俺たちはここで互いに殴り合いながら、この小さな暗い状況を説明することさえできないでいる。以前は別の奴らが互いに殴り合って、何も解明できずに堕落のなかへ駆け込んでいった。彼らは犠牲者だったり、死刑執行人だったりした。そして、人がその時代のなかへ深く降りていけばいくほど、道は歩きにくくなる。俺はときどき、歴史がわからなくなる。自分の心をどちらへ向ければいいのか、どの政党、集団、権力に属すべきなのか、わからない。なぜって、それに従ってすべてが引き起こされている悪法の存在に気づくからだ。そして、人は常に犠牲者の側に立たざるをえないが、それも何ももたらさない。犠牲者は進むべき道を示してはくれないんだ」
「それは恐ろしいことだ」とフリードルは大声で言った。「犠牲者たち、たくさんのたくさんの犠牲者たちは、道を示してはくれない! そして、殺人者にとっては時代が変わっていく。犠牲者は犠牲者だ。それで終わり。俺の父はドルフース時代〔E・ドルフースはオーストリアの独裁政治家〕の犠牲者だった。祖父は専制君主時代の犠牲者だ。兄たちはヒトラーの犠牲者だった。だがそんなことは俺の役には立たない。わかるか、俺の言いたいことが? 彼らは倒れるだけだ。轢かれたり、撃たれたり、壁際に立たされたりするけれど、ちっぽけな人々で、大した意見も考えも持たなかった。いや、二人か三人は何かを考えた人間もいて、俺の祖父は来るべき共和国のことを考えた。だが、いったい何のために? 祖父が死ななければ共和国は実現しなかったのか? そして俺の父は社会民主主義のことを考えたが、いったい誰に父の死を要求する権利があったんだ? 選挙に勝ちたいと思っているナチ党ではないだろう。選挙に勝つのに死人なんて必要ない。選挙には。ユダヤ人たちも、ユダヤ人だからという理由だけで殺された。彼らはただ犠牲者だった。あんなにたくさんの犠牲者。でもそれは、いまになってようやく子どもたちに向かって、ユダヤ人も人間なんだと言うためじゃないだろう? そんなの遅すぎると思わないか? いや、誰にも理解できんだろう、犠牲者の死が無駄だったなんて! これこそ誰にも理解できないし、だからこれらの犠牲者がさらに洞察を提供させられても、侮辱されたと思う人間はいないだろう。だが、そんな洞察なんてまったく必要ないんだ。殺してはいけないということを、知らない人間がいるだろうか!? 二千年前からわかっていることじゃないか。まだそれについて言う必要があるのか? ああ、だがハーデラーはこの前の演説で、まだそれについてたくさんしゃべっていたな。あの演説ではまさしく犠牲者のことが発見されたってわけだ。ハーデラーは口のなかでヒューマニティーをこね回し、古典作家からの引用や教父たちの言葉、それに最新の形而上学的な言い回しを散りばめていた。気違い沙汰だったな。一人の人間に、どうしてそんなことが話せるんだ。まったく馬鹿げたこと、もしくは卑劣なことさ。そんなことを話さなくちゃいけない俺たちは、いったい何者なんだ?」」
(インゲボルク・バッハマン「人殺しと狂人たちのなかで」)
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