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Lubricate us with mucus. ──2nd season 飛翔編

   Be fierce as fire is fierce.

( ゚Д゚)<革命家ラスコーリニコフ

「僕はどんなにネガティヴなことであったとしても、革命を思想するのであれば、革命家とは当事者になる必要があり、第三者であってはいけないと思っているんです。ホロコーストは人類において一番ネガティヴなこととされていますね。実際はスターリン主義者もそれ以上のことをしていますが、ホロコーストの話をすればホロコーストについて是々非々を言うのは大体が文化左翼でしょう。革命家であるなら、ホロコーストをやった立場に立って、ホロコーストをしてしまったが、どうしたらこのホロコーストの悲惨な現実を克服できるのかということを考えるべきです。そこからしか思想は、革命の思想は生まれて来ないでしょう。ホロコーストの是々非々を言っている立場は、時と場合により、とんでもないホロコーストをしてしまう。そしてそのものは泣き崩れて、こんなはずではなかったと言うことになる。ヘルマン・ブロッホが言う最悪の「罪なき人々」の登場ですが、結果を考えていないで、善意でやったことがめちゃくちゃな結果になるのだったらどうしようもないでしょう。
 せめて革命家になるのなら、最低限確信犯でやれと思います。自分がやったことを全部背負うだけではなく、思想的にはやっていなくたって、ネガティヴなことを全部背負えということです。これも誤解を恐れずに言うと、そうしたものを背負っているからこそ、ちょっとやったようなことは皆許してくれるんです。普通の人間だったら、たとえば火をつけたり銀行強盗やったりしたら犯罪者なんです。ところが、あれは革命家だと言ってカッコ付きであるとしても許してくれるわけなんです。それは背負っているからです。だから彼は単なる刑事犯でなくて政治犯なんだと、大義のためにやっているんだと、多少大目に見られるということがあるんです。
 また革命家といわゆる大衆(民衆)運動家の違いはそこにあります。大衆運動家は常に野党の立場に立つ。野党の立場に立って権力を見るのです。それに対して革命家は権力者の立場に立つ必要があります。権力に囚われ、牢獄にあっても権力者の立場を持ち続ける必要があるのです。それは権力主義者だからではなく、権力のネガティヴさを背負うという意味においてです。だから権力批判においても、あえていえば大衆運動家は下から権力者の足を引っ張っているようなものですが、革命家は上から権力者の頭を踏みつけるようなものとでもいうような違いがあります。」
(千坂恭二「ロングインタビュー・21世紀の革命戦争」)
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