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Lubricate us with mucus. ──2nd season 飛翔編

   Be fierce as fire is fierce.

( ゚Д゚)<魂の癌

「ロマン派は情熱にレトリックを与える。だがバルザックは事象自体を与える。歴史上の類例を手がかりにして彼の情熱観を解釈しようと思うなら、ロマン派に眼をやってはならない(ロマン派はそれらしいジェスチュアをとりはしても、実は真の情熱とは縁もゆかりもない)。むしろ『マノン・レスコー』や、ディドロのような偉大な天性を想起すべきである。ディドロの次のような言葉は、『人間喜劇』に出て来たとしても不思議はないだろう。《ささやかな、堂々めぐりをしている情熱は、私の同情を惹かずにはいない》。……さらにアンリ・ド・サン=シモンを思い出してもよいだろう。彼の社会哲学への心酔は、十八世紀の精神がなおきわめて根強く生き残っている。……《普遍の学》の振興にもっとも功あったと彼が考える三人の人々──ルター、ベーコン、デカルト──は、みな情熱をもっていた、と彼はよく指摘したものだ。ルターは食事の楽しみに、ベーコンは金に、デカルトは賭事と女に、それぞれ情熱を燃やしていた。バルザックが引き継いでいるのは、この十八世紀直系の精神である。ロマン派の流れではない。彼の描く情熱には、芝居がかった悲愴さは微塵もない。偉大な自然科学者が動物の種を記録したり、医師が病像を描いたりするのと同じように、彼は情熱を書きとめる。だからシャルコのような人物が余暇にバルザックをひもといていたのも頷ける。バルザックの情熱描写は、よくいわれるように学術論文じみている。彼は情熱の発生、成長、増殖を、きわめて念の入った厳密さで分析する。彼は情熱の速度とこの症状の規則正しい進行を研究する。彼は情熱が身体と精神に影響を及ぼす破壊作用を探る。バルザックは近代の医師と同じく、まず遺伝的素質を探ることから始めている。バルタザール・クラースの先祖は、みなこぞって情熱家だった。彼らは蒐集マニアであった。ひとりは絵画を、もうひとりは東アジアの陶器を集めていた。家具や銀器の蒐集家もいた。バルタザールの父は、チューリップの有名な大コレクションの持ち主だった。バルタザール自身はさしあたり、自分の妻に夢中になる以外、これという情熱もない。君を愛しているから、先祖の誰彼が必ず陥らざるをえなかった偏執癖の虜にならずに済んでいる、と彼は冗談めかして妻にいう。確かに子供の頃は、彼もチューリップ栽培に心惹かれたことがあった。それは父親譲りの好みだった。だが今では花よりも家庭の幸福を育てる方がよいと悟っている。ところが一年もすると、初めの内は眼に見えないほど微かであったが彼の人柄全体にある変化が起き始め、やがてその変化は徐々に目立って来た。彼は、深いもの想いに沈み込む。魔物が彼を捕えた。ファウスト的情熱が彼の心に根をおろした。彼は賢者の石を探し求めるだろう。彼は実験室に鍵をかけて閉じこもり、かつてあれほど愛していた妻も、可愛い子供たちのことも、全くかまってやらなくなってしまう。彼は己れの生命を削る。彼は年老い、六十歳になったとき《彼の心を占めていた観念は、モノマニアの最初の徴候であるあの情け容赦もない一徹さを帯び始めていた》。情熱はモノマニアと化し、ついに彼の心を余すところなく捉え尽くす。情熱は彼の道徳心を破壊する。昔あれほど心寛く、誠実で気高かったクラースが、実験費用欲しさに子供たちを欺き、子供たちから盗む。モノマニアはさらに進み、やがて狂気にまで至る。……
 このように、バルザックにおいて情熱は、独立して成長して行く一種の生き物のように現われる。人間から離れず、だが人間に逆らうそれは、魂の癌に他ならない。バルザックがこの外見上はほとんど目立たない変化を細かく分析する術を心得ているのは、実に驚くべきことだ。彼のグランデは、正札を貼られた人形のように、強欲が特質としてこびりついてしまっている単純な《守銭奴》ではない。いや、この強欲は一連の発展成長段階を辿っており、その発展は非常な高齢に至ってもまだ終らずにいる。《グランデは、当時六十七歳になったばかりだった。特に二年前から彼の強欲は、およそ人間のあらゆる執拗な情熱が増大して行くのと同様に、激しくなる一方であった。守銭奴や野心家など、己れの人生をある支配的な観念に捧げている人々によく見られるように、彼の感情は自分の情熱を表わす象徴から何がなんでも離れられなくなっていった。黄金を眺め、黄金を所有すること、それが彼のモノマニアとなった》。このドラマの幕切れは壮絶である。死の床にある守銭奴、黄金の亡者。《司祭は金めっきの十字架像を彼の唇に近づけ、キリスト像に接吻させようとした。すると彼はぞっとするような身振りでそれをひったくろうともがいた。そしてこの最後の努力が、彼の生命を使い果たしてしまった。彼はウージェニーを呼んだ。本当は彼女は彼の眼の前に跪いて、すでに冷たくなりかかった彼の手を涙で濡らしていたのだが、彼にはもう見えなかった──「お父様、祝福して」彼女は願った。──「何もかも注意を怠るなよ。いずれ天国でまた報告を聞こう」》(『ウージェニー・グランデ』)。
 一般的人間の情熱の素質が、それぞれの個人にとってどのような現われ方をするかは、その人の気質と知性の状況次第である。鈍重な粘液質の人間には、本当の意味での情熱が生まれるはずもない。情熱に取って替わるのが突飛な思いつきとか気まぐれ、習癖、十八番などである。スターンのようなユーモアの持ち主は、こうした情熱のグロテスクな畸形を特に好んで描いた。『人間喜劇』の脇役も、よくこのような性格を備えている。《ある習癖を思い切ってやめようとする者はひとりもいない。自殺しようと思った者の多くは、毎晩ドミノの一番勝負をしていたあのカフェのことを死の瀬戸際で思い出して、あわやというところで思いとどまるのである》(『従兄ポンス』)。罪のない習癖にうつつを抜かしているのは、グリゼル師や小役人のコルヴィルである。グリゼルは、聖書を研究し翻訳するだけの人生を送ってきた。彼は聖書をそらんじていて、聖書の表現を使わずにしゃべることができない(「ある不可触賤民の思い出」)。コルヴィルの情熱は有名人の名前をアナグラムして、その人の天宮を見つけ出すことにかけられている。《彼はアナグラムの学を打ち立て、どの人の運命もその姓と名と称号の文字を組み合わせてできる文の中にすでに現われている、と主張するのだった》(「平役人」)。公証人ルニョーの生涯のクライマックスは、メレ伯爵夫人の遺言状をめぐる一件であった。自分がこの件に関わっていたという、まさにこの事実にこそが、彼の自意識と生きる歓びを決定する。ビアンション医師は、いったいどんな事情がその遺言状にひああるのか、と彼に尋ねる。《この言葉を聞くや公証人の顔には、お得意の話を繰り返し語ることに慣れきった人が覚える喜びにみなぎった表情が拡がった……彼は幸福だった! 十八番のない人間には、人生から何を得られるか見当もつかない。十八番とは情熱とモノマニアの正確な中間を指すのである》(「続女性研究」)。
 習癖は十八番に、さらに進んでモノマニアまで至ることもありうる。そして最後に、特殊な状況にあっては、グロテスクな悲劇でひとりの人間の人生を破壊し去ることもある。……《愛情のあらゆる所産の内から選択した、自己の性質と一致する特別な趣味になじんでいる人なら誰でも知っていることだが、どんな分別も、情熱を習慣にしている人間を阻止できるものではない》(「マッシミルラ」)。」
(E・R・クルティウス『バルザック論』)
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