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Lubricate us with mucus. ──2nd season 飛翔編

   Be fierce as fire is fierce.

( ゚Д゚)<神秘主義を炙り出す

「深層心理学のカバラ的伝統との結びつきについては、バカンの研究を承けてデヴィッド・C・マックレーランドが「精神分析学と宗教的神秘主義」と題する研究の中で、さらにこの点を推しすすめている(『意識の根』)。この中で彼の強調するのは正統ユダヤ教の論理的厳格さに対するカバラの呪術=情感的性格である。ユダヤ神秘主義の中心的教典『ゾーハル』は、想像力の産物であって理詰めの論法の産物ではない。その中心的な論法は暗喩と比喩であって、論理と緻密な推論とは自ら性質を異にしている。そこで注目されるのは精神分析が使った技法が「自由連想」であるという事実であり、さらに精神分析は人間を理解するのに「自由連想」という概念を使う前提を伝統の中に持っていたのである。というのは、『ゾーハル』では人間は読解さるべきテキスト(典籍)として考えられるべきであり、とりわけザディク(宗教的指導者)の聖なる性格は生ける典籍の一種と解されるべきであると、特にハシディズム派は考えた。
 こういった指摘はわれわれにさまざまの想念を掻き立てずにはおかない。というのはまず、フロイトを守護列聖に加えようとしたブルトンらのシュールレアリストたちの「自動筆記」→「自由連想」といった理解は、少なくともフロイトに関する限りは正当な誤解であったのである。感激に打ち震えながらフロイトに会いにいったブルトンが、冷淡にあしらわれて失望して帰って来た、というのはよく知られた事実である。あくまでも自然科学的理性のイディオムを公的な拠りどころとしていたフロイトは、すでに述べたような事情から、彼の思考の真の根である神秘主義を公然と明るみに出すおそれのある同盟を拒絶するのは、当然であったと言えるだろう。しかし、フロイトの背後にカバラ解釈学の伝統を透視したブルトンらの判断は誤っていなかったはずである。同時に人間をテキストと見る視点はまさに、〈人間科学〉が現在目指している立場である。
 とにかく、ユダヤ神秘主義同様、精神分析では、習俗の外的強制、抑圧的理性、道徳的義務の束縛から人間を解放するのに役立つのが、想像力や、自由連想、夢、隠喩の解釈の技法である。マックレーランドはさらに、カバラと精神分析が、〈性〉についてきわめて近い立場を持つことを示している。つまり〈隠れた力〉をひき出して、人間性により広い次元での再統合を可能にする媒体として、〈性〉の問題が捉えられる。「こういった考え方は、非ユダヤ世界には、ユダヤ的カバラの書物の深い影響のもとに書かれたゲーテの『ファウスト』において最も巧みに示されている」という証言を彼はわれわれに示すのである。」
(山口昌男「もう一つのルネサンス」)
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