「問題が巨大であって、その中から何が出てくるかわからない時には、一般的対応能力のある人たちの集団を一気に投入して急速に飽和状態にまで持ってくることが決め手であることを私はこの災害において学んだ。
逆に、「情報を寄越せ」「情報がないと行動できない」という言い分は、一見合理的に見えて、行動しないこと、行動を遅らせることの合理化であることが少なくない。これは「情報時代」における新しい合理化に見えて、第二次大戦における、特に日本軍の常套句なのである。徒歩連絡で情報が目的地に到達した時には、出発地の事態はすっかり変わっていたというのが普通であった。「情報は常に時遅れである」。警察庁発表の死者数は、検視を終えて警察署─県警本部─警察庁と上がってきた情報である。時遅れの甚だしいものであった。せめて「行方不明数」に依拠していたら、少しは違っていたろう。情報解読にもイマジネーションが必要である。さらに、震度何の地震がかくかくの地域を襲ったら、これほどの災害が予想されるというイマジネーションこそ何よりも必要なものであった。
過去に学ぶこともほどほどにするべきであろう。日本海軍は一つ前の海戦の教訓を「戦訓」と称して軍艦を改造しつづけたが、次の海戦では役に立たないどころか、マリアナ沖海戦における旗艦「大鳳」の爆発のように全くの敗因となったことさえあった。
自然災害、特に地震においては、救援の必要性は発生時に最大であって、急速に目減りするから、即時大量の人員機材投入がもっとも理屈に叶っているのである。その点、戦争よりも構造は非常に単純である。
決して語られないことであるが、初期において、「過剰対応」をすると後で責任を問われるという脅えが、一部の行政の人に読み取れた。後での談話のはしばしにも、それがみられる。過去の「戦訓」に則ればよしとされるが、あいにく、今度は未曾有の事態であった。」
(中井久夫「阪神大震災後四か月」)