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Lubricate us with mucus. ──2nd season 飛翔編

   Be fierce as fire is fierce.

( ゚Д゚)<比喩の水先案内人

「で、文章の技術のほうなんだけど、俺の書く文章というのは、原則悪文です。これは客観的にみても、どうひいき目にみても、変えられない事実だと思う。チャットでは「センス」という話が出たけど、俺にもし固有のセンスがあるとしたら(以下「ひいき目にみて」という前置詞が常に付くと思ってください。以下は、自分の文章をまるで他人が書いたように判断しながら書くんですが、なにしろ判断者が自分だし、俺は判断者としてはあまり適格ではないと思う)、せいぜい比喩的表現に見るべきものがあるくらいで、あとは大したことないと思う。
 ここでは話を比喩的表現に限定して進めます。でもこれって、使うにあたって向いてる人と向いてない人がいるからなあ……。たとえばうちの奥様なんかだと、経験不足のせいで文章そのものはこなれてないですが、明解でわかりやすい、またリズムのまったく狂っていない文章を書きます(これこそは天性の資質のひとつだと思う。ド素人のなかに、たまにこういう文章を書く人はいる)が、比喩は使おうと思っても使えないそうです。なぜならば「それは、それ自体で、それ以外のものじゃないからだよ」だそーですが。たとえば、文学的には「闇の黒を混ぜ込んだような不吉な赤みを帯びて佇んでいる林檎」という表現は成立すると思う。これは「林檎」というものの置かれた場所、雰囲気、背景込みの描写にならざるを得ません。でも、まゆみさんに言わすと「だって林檎は林檎じゃん。林檎そのものは不吉でもなんでもないし、どこにあったって林檎じゃん。あんたの書くことおかしいよ」ということになってしまう。
 比喩的表現を多用する人というのは、あるいはそれが得意な人というのは、いつか日記に書いたような気もするんだけど「世界に存在する無数の事象と、自分だけの秘密の契約を持ってる人」というような感じになるかと思います。目の前に海が広がっていたとして、その海の景色、におい、天候、そんなものを含めて、自分の目の前に広がる「海」という現象に無数の物語を見出せるような人。表面にあらわれた事象の背後に、連綿とつながる人間の物語を見出せるような人、っていうことになるでしょうか。汎神論的っていうか。で、そういう感受性が根底にあって、あとは読んだ文章の数勝負じゃねーかな。気に入った表現があったら、てきとーにパクっときゃいいんです。無意識の底に沈めて、いつかその表現が不意に浮上してくるその日まで。」
(G.A.W.「文章の技術2」)
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