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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<真実を突き放す

「ラスコオリニコフを駆り立てた「デモン」は、否定的な破壊的な意志ではなかった。充たされる事のない真理への飢渇であった。彼の絶望は、そこから来るからこそ、癒し難いのである。彼は、日常の瑣事を侮蔑し、個々の事物の価値を知ろうともしないのだが、また、真理が一定の形を持ってやって来れば、もう彼には不満であり、それを乗り超えようとする。あらゆる所与はたちまち課題と変ずる。断っておきたいが、彼は決してそういう哲学者でもなし、彼の哲学的教養も言うに足りないのだが、作者が主人公をそういう哲学的気質として描いたという事は間違いない事である。ついでに附記しておきたいが、ついに哲学者にならぬ哲学的素質、哲学者には無智と映る哲学的素質は世の中に無数にあるはずだが、これらを哲学的システムによって真に凌駕する事は非常な難事であって、それは恐らく稀れにしか現れぬ最高級の哲学的システムだけに可能な仕事だ。その事に気が附きたがらぬ事、すなわち大多数の哲学者等の凡庸さに他ならぬ。ラスコオリニコフのような皮肉を知らぬ精神は、いわゆる懐疑派にも厭世家にもなる事は出来ない。彼等の憂い顔が、多くの人々に何を語ろうと、彼等は一種の充たされ、満足した人種である。彼等は、いつも課題に取り巻かれている振りをしているが、実は、課題を狡猾な冷静な微笑によって、所与に変ずるのが彼等のやり方である。彼等は、疑うというよりむしろ信じないのである。およそ目的というものに無関心でいて、しかも何を進んで疑う要があろうか。彼等に比べれば、ラスコオリニコフは、ほとんど愚直と評してもいい。彼には、一切の確たる目的は疑わしいが、或る言い現し難い目的、言わば、自分が現にこうして生きているという事実の根源、或は極限という謎は、あらゆる所与を突破し、課題に変じて前身するために、どうしてもなくては適わぬ目的である。ラスコオリニコフは、認識が到るところで難破する事を確かめ、もはや航海の術もなく、自己の誠実さという内部の孤島に辿りつく。彼は、この孤島の恐ろしく不安な無規定な純潔さに、一種の残忍性をもって堪えようとした。……
 …………
 ……ラスコオリニコフは、独力で生きているのではない、作者の徹底的な人間批判の力によって生きている。単にラスコオリニコフという一人の風変りな青年が、選ばれたのではない。僕等を十重二十重に取り巻いている観念の諸形態を、原理的に否定しようとする或る危険な何ものかが僕等の奥深い内部に必ずあるのであり、その事がまさに僕等が生きている真の意味であり、状態である、そういう作者の洞察力に堪えるために、この憐れな主人公は、異様な忍耐を必要としているのである。主人公の心理や行動、或は両者の連続や不連続、それは、それだけで、既に充分に異様に見えるが、才気ある作家達の模倣を許さぬものではない。しかし、残酷な心理学が、到るところで心理学的可知性を乗り超える、この作者の思想を才気ある者が模倣するわけには行かぬ。」
(小林秀雄「「罪と罰」について」)
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