「教養はすぐれた療法である。ここに教養とは、あらゆる種類の思想とながく親しみ、作家を是認したり非難したりするより、はじめはむしろ理解することに意を用いつつ、あらゆる作家を研究することを意味する。名誉心がけっして入りこまぬ頭の遊びは、幼年期や少年期に適している。観念を餌のように呑みこまぬことを人が学ぶのは、これによるのである。理解するが夢中にならぬこと、これが精神の健康さというものだ。……
ヴォルテールはよく見ていた。熱狂こそ人間の禍いなのだ。そして熱狂とは、早まった野心がすぐ破れたところから、けいれん的に考える精神にほかならない。」
(アラン「精神対精神」)