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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<愛することを学ぶ5

「長篇小説を物語から(そして狭義の叙事的なものから)区別するのは、長篇小説が本質的に書物というありように依存しているという事情である。長篇小説の普及は書籍印刷の発明によってはじめて可能となる。口で伝えうるもの、これこそが叙事文学の財産なのだが、これは、長篇小説を成り立たせているのとはまったく異なる性質のものである。長篇小説は、口伝えによる伝承から成り来たったのではなく、また、この伝承のなかへと流れこんでゆくものでもない。この点で長篇小説は、散文の他のすべての形式──メールヒェン、伝説、さらには短篇小説──に対して際立っている。しかし、長篇小説が際立った対照をなすのは、なかでもとりわけ〈物語ること〉に対してである。物語作者は、物語ることを経験から取り出してくる。それは自分自身の経験の場合もあるし、報告された経験の場合もある。そして語ったものを、また、彼の話に耳を傾ける人びとの経験にしていくのだ。それに対して長篇小説作家は、他から隔絶してしまった。この、孤独のうちにある個人こそ、長篇小説が生まれる産屋なのである。孤独のうちにある個人は、自分の最大の関心事についてさえ、もはや他の範例となるように語ることができず、誰かから助言をもらうこともなければ、いかなる助言を与えることもできない。長篇小説を書くとは、人間の生の描写において、他と通約不可能なものを極限にまで押し進めることにほかならない。まさに生の充溢のただ中で、この充溢の描写を通して、長篇小説は、生きる者が陥っている深く途方にくれた状態を明らかにする。」
(ベンヤミン「物語作者」)
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