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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<言葉足らず

「音楽であれ、小説であれ、表現というものは、たえず何か逸脱するものを孕んでいないと、やがて滅んでいく。表現とは本質的にそういうものだ。一九二〇年代から六〇年代にかけてジャズに活気があったのは、ジャズがたえず逸脱し続けていたからで、だからその時代に録音されたレコードは、そこに逸脱する精神があるために、いま聴いてもジャズに聴こえる。けれども、現在、六〇年代と同じスタイルで演奏されたジャズを聴いても、その音楽は逸脱する精神がないからジャズに聴こえない。それは過去の模倣にすぎない。
 小説も、かならず既成の小説から逸脱するものを孕んでいない限り、今書かれる意味はない。
 ただし、「新しさ」ということは、あまり考えなくていい。すでにある小説は「飽和している」という感覚がその人なりにあるはずで(その感覚がないと困る)、そこから逸脱しない限り、小説を書く意味はないと考えること──。そういう姿勢がとても大切で、「新しさ」というのは、結果として後から誰かがそう評価するだけの話、ぐらいに思っていればいい。
 では、どうすれば「逸脱」できるのか? カギを握っているのは「身体性」だと思うが、その話は後でもう少し詳しく話します。」
(保坂和志「小説の外側から」)
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