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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<いつだって扉の向こうに

「ぼくたちの目の前で終焉を告げている西欧の主要な芸術であった文学は、それでも、その内容を定義するのがひどく難しいわけではない。文学と同じく、音楽も、感情を揺さぶり引っくり返し、そして、まったき悲しみや陶酔を生みだすものと定義することができる。文学と同じく、絵画も、感嘆の思いや世界に向けられた新たな視線を生み出す。しかし、ただ文学だけが、他の人間の魂と触れ合えたという感覚を与えてくれるのだ。その魂のすべて、その弱さと栄光、その限界、矮小さ、固定観念や信念。魂が感動し、関心を抱き、興奮しまたは嫌悪を催したすべてのものと共に。文学だけが、死者の魂ともっとも完全な、直接的でかつ深淵なコンタクトを許してくれる。そしてそれは、友人との会話においてもありえない性質のものだ、友情がどれだけ深く長続きするものであっても、現実の会話の中では、まっさらな紙を前にして見知らぬ差出人に語りかけるように余すところなく自分をさらけ出すことはないのだから。
 もちろん、文学を語るのであれば、文体の美しさ、文章の音楽性は重要だ。思考の深さ、独自性もないがしろにしてはいけない。しかし、何よりも、作家とは一人の人間であり、その本の中に生きている。その本がよく書かれているかいないかということは最終的にはさして意味はなく、大切なのは書くということであり、そして、自らの著作の中に確実に存在することなのだ(これほど簡単で、一見誰にでも当てはまるように見えるこの条件が、実際にはそれほど容易ではなく、そして奇妙なことに、このたやすく観察できる明白な事実は、様々な学派の哲学者にほとんど取り上げられていない。彼らは、人間は誰でも、質はともあれ同じ存在「量」をもち、原則的にはほぼ同様に「存在」していると考えているからだ。……)。自分に似合った本とは、何よりもその著者に親近感を抱いている本、その著者に何度でも出会って一緒に過ごしたいと思う本のことなのだ。」
(ミシェル・ウエルベック『服従』)
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