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Lubricate us with mucus. ──2nd season 飛翔編

   Be fierce as fire is fierce.

( ゚Д゚)<時間の裏切り

「私が「あっ」と思ったのは、ミルトン・エリクソンが弟子を叱っている場面であった。弟子は、子どもとの面接を一週間延期して、それをあっさり言い渡したのである。エリクソンはきびしくとがめた。「一週間は子どもにとっては永遠に等しい」。
 私は、まだ小学生だったわが子に問うてみた。「あったりまえよ」という返事が返ってきた。「お出かけを一週間延ばされたら?」「ものすごく腹が立つ」。
 そのとおり。小学生時代の一〇分の休憩時間は何と長かったか。その間に、缶蹴りや鬼ごっこなどをしっかりやったではないか。どうしてそんなことができたのだろう。校長先生の訓話は気の遠くなるほど長かったけれども、今思えば一〇分か一五分のことではなかったか。
 戦時中の子にも至福の時間はあった。たとえば、淡路島の、今でいえば津名港から、小さな港をめぐりながら明石港に向かうポンポン蒸汽船。四時間の船旅を私はへさきに陣取ってすごした。飛びすぎゆくサヨリの群れ。ときどき海底に煙を立てるヒラメ。陽の光がゆらめいて網目模様を作る海の底を飾るヒトデの白い星。うずくまる海綿。そういう宇宙の中に吸いとられて、ほとんど永遠であった四時間。あの充実感はどこに行ったのか。
 小学校の後半は前半ほど長くないことに私はすでに気づいていた。以来、時間はどんどん短くなった。大学に入って、ポール・フレッスの、今は忘れられている『時間の心理学』を京大の佐藤幸治教授の訳で読み、主観的時間経過は年齢の三乗に反比例するという箇所に至って、私は驚愕した。私は十九歳だったが、すでに人生を半分以上過ぎているではないか! この知識を私は友人に話して脅かしたものだが、内心もっとも怯えたのは私であった。
 年齢が増えるほど時間は早く過ぎるという感覚を持つことは「ジャネの法則」というらしい。最初に記述したのはジャネだろうけれども、古くから知られていることだ。中国の古詩にもある。
 それに、時間感覚の速度は、フレッスのいうような、年齢の三乗に反比例するというような単純なものでない。楽しく過ごした時間は、その時点では短く、思い出の中では長い。つらい時間はその時点では長く、思い出の中では短い。戦後の満員列車に揺られて東京へ一三時間ほどもかけて行った記憶は、ほんの一秒に要約されてしまう。私たちが多くの憂きことにもかかわらず、多少快活に生きてゆけるのは、そのためもあろうか。
 新しい体験が流入してくる一年生や新就職や転勤や所帯を持った時や──それからしばらく時間はゆっくり流れるようである。しかし、充実感の記憶は残るが、まるで遅れを取り戻そうとあせる機関車のように、時間は面憎くもその前よりも格段に速く流れ始める……。」
(中井久夫「母子の時間、父子の時間」)
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