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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<隠された表面

「……〔精神〕分析によって明らかにすべき「秘密」とは、形態(夢の形態)の後ろに隠されている内容などではなく、形態そのものの「秘密」である。夢の形態を理論的に考察することは、顕在内容からその「隠された核」すなわち潜在的な夢思考を掘り起こすことではなく、どうして潜在的な夢思考がそのような形態をとったのか、どうして夢という形態に翻訳されたのか、という問いに答えることである。……
 夢のフロイト的な解釈が「なんでもかんでもセックスと結びつける」という非難を浴びてきたことは周知の通りである。……この類の非難は、根本的な理論的誤謬にもとづいている。つまり、夢の中に作用している無意識的欲望と、「潜在思考」すなわち夢の意味とを同一視しているのである。だが、フロイトが繰り返し強調しているように、「潜在的な夢思考」には「無意識的」なところなど何ひとつない。潜在思考はまったく「正常」な思考であり、ごく普通の日常言語の統語法で表現されうる。局所論的にいえば、それは「意識/前意識」のシステムに属している。ふつう主体はそれに気づいている。というより意識しすぎている。それはたえず主体を困らせる……。ある条件のもとで、この思考は意識の外に無理やり押し出され、無意識の中へと引き込まれる。つまり「一次過程」の法則に従い、「無意識の言語」に翻訳される。したがって、夢の「潜在思考」と「顕在内容」(夢のテクスト、文字通りの現象としての夢)との差異は、まったく「正常な」(前)意識的な思考と、それが夢という「判じ絵」に翻訳されたものとの差異である。したがって夢の本質的な部分は、その「潜在思考」ではなく、それに夢という形態をあたえるこの作業(置換と圧縮のメカニズム、単語や音節の内容の表象化)なのである。
 その点に関して根本的な誤謬がある。顕在的なテクストによって隠された潜在思考の中に「夢の秘密」を探そうとすると、かならず失望させられる。そこにあるのは、まったく「正常な」──ただしたいていは不快な──思考だけであり、それはたいてい性的ではなく、断じて「無意識的」なものではない。この「正常な」意識的/前意識的思考は、たんにそれが主体にとって「不愉快」だという理由だけで抑圧され、無意識の中に引き込まれるのではなく、すでに抑圧され無意識の中にあった別の欲望との間に、一種の「短絡」が生じるのだ。その別の欲望は「潜在的な夢思考」とはいっさい何の関係もない。……
 この無意識的/性的欲望は「正常な思考の流れ」には還元されえない。なぜならそれは、そもそもの初めから構造的に抑圧されており(フロイトのいう原抑圧 Urverdrangung)、日常的コミュニケーションに用いられる「正常な」言語、すなわち意識/前意識の統語法の中に「原型」をもっていないのである。だからこそ、夢あるいは症候一般の解釈を、「潜在的な夢思考」の、主体間コミュニケーション(ハーバーマスの公式)の「正常な」ふつうの日常言語への再翻訳に還元してはならないのである。つねに三重構造になっている、つまりいつでも三つの要因が働いているのだ。すなわち顕在的な夢のテクストと、潜在的な夢思考と、夢に表現された無意識的欲望である。この欲望は夢に付着し、潜在思考と顕在テクストとの間の空隔に入り込む。したがって、この欲望は潜在思考と比べて「より深く隠されている」わけではなく、むしろ「表面」により近く、純粋にシニフィアンのメカニズムのみから、すなわち潜在思考にたいしてほどこされる処置からなる。言い換えれば、この欲望の唯一の場所は「夢」という形態の中である。夢の真の主題(無意識的な欲望)は、夢の作業の中に、すなわち夢の「潜在内容」の加工の中に、あらわれるのだ。」
(スラヴォイ・ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』)
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