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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<奇怪なréalisme3

「グロテスクなイメージをこれでもかとばかりつめこんだ小説が一向面白くないのは、夢の雰囲気をもたないのに夢らしく仕立てあげた小説が一向面白くないのと同じで、そこにはせいぜい「恐ろしい自由奔放な空想世界」があるにすぎない。要するに、ここにはある重要なファクターが欠落している。それは「現実の世界」こそ「夢の世界」にほかならないという認識であって、いいかえれば、それはきわめて倫理的な問題、人間の存在条件と切りはなすことのできない問題なのである。
 …………
 われわれは夢を見るという。こういう表現は正しくないので、われわれは夢のなかでは何も見ていない。見るとは「距離」をおくことだが、距離がないということが「夢の世界」の特徴なのである。しかし、われわれは眼ざめたとたん距離をおいて「夢の世界」を見る、つまり外側からそれを見る。重要なことは、この見るというあり方が生きるというあり方とはまったく異なっているということである。
 …………
 要するに、われわれがふつう夢と呼んでいるのはすべて「事後の観察」である。夢の世界ではわれわれは文字通り夢中に生きているのであって、しかも生きていることとそれを眺めることとに何の乖離もなく生きているのだ。そこでは「在りそうもない事だけ」が起こっているが、しかもそれを何の疑いもなく受けいれている。「本当のリアリティはつねにリアリスティックではない」とカフカがいうのは、この意味においてである。
 夢についての諸理論はほとんどこういう問題をはずしている。それは生を外側から眺めるように夢の世界を外側から眺め、その“意味”を解こうとしているのだ。しかし、ある留保条件を付せば、「夢の世界」と「白昼の世界」との間にどんなちがいがあるだろうか。ただ違いは、それを距離をおいて見ることができるか否かにあるので、もし距離を奪いさればわれわれは「夢のように」感じるほかないのである。」
(柄谷行人「夢の世界」)
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