忍者ブログ

Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<集団的言表行為としてのファシズム

「若きブランショがモーラスに魅了されたのは、その徹底した反近代主義、反ヒューマニズムと、ヒューマニズムの諸価値への暴力的な軽蔑の表明ゆえであったことは想像にかたくない。敗戦後ブランショがモーニエやロワと同様に立場を転回させてモーラスとたもとをわかったことはよく知られているが、ブランショの経歴のなかでアクション・フランセーズからの離反は同時に政治から身を遠ざけて文学批評に転身することをも意味していた。
 この転身には政治状況と同時にバタイユとの交友が影響を与えていた。もともと社会学者としてファシズムを興味深い現象とみなしていたバタイユがコントル・アタック、アセファルからコレージュ・ド・ソシオロジーへといたる過程は、また社会学のうちなるファシズムとの対決の過程であった。モースは私信のなかでではあるけれども、職能組合とデュルケムの職業集団がつながったものであることを認めていたし(そのことはファシズムとデュルケムの思想の姻戚関係を認めることになるのである)、バタイユ自身がシュールレアリストやコミュニストから幾度となくファシスト呼ばわりをされていたのである。しかし功利主義の観点を超えた社会と個人の関係の結び直しというフランス社会学の中心命題を考えるうえで、国家への個人の凝集を実現したファシズムが最も興味深い対象となるのは当然であり、いくつかの側面でファシズムを評価することなしには、ファシズムとの真の対決はありえないのである。ファシズムとの対決を通じて現代社会に人間の連帯を回復する方法をさぐるバタイユはしかし共同体そのものよりも、その共同体から明白に分離されることでその共同体を逆に支える「絶対者」について考察することで、逆光によって共同体の成員をつなぐ絆を明らかにしようと試みた。同様にブランショにとっての政治から文学への転換は、ソレル=ファシズム的なサンディカリズムの沸騰的共同体への指向から、カフカ的な、共同体からの脱落、疎外をテコにした外部からのヒューマニズム批判への転換であり、また、共同体の異分子としてのユダヤ人批判から、共同体の外にとどまる民としてのユダヤ人擁護への転換をも意味していた。……
 モーラスから離反したブランショが選んだ思想のよりどころは、文学におけるカフカとドイツの哲学者マルティン・ハイデガーだった。戦後サルトルをはじめとする哲学者がハイデガーをニューマニズム化して、『ヒューマニズムについて』によって破門されるといった状況のなかで、ブランショは一貫してハイデガーをヘルダーリン論以降の文学批評を本質とする反ヒューマニストとして扱ってきた。そしてこのようなブランショのハイデガー理解の下地には、モーラスの思想が存在することはほぼ確実である。ブランショの思考のなかでハイデガーはモーラスに接ぎ木され、ハイデガーは戦後の構造主義からデリダ、ドゥルーズにいたる批評界、哲学界の一大潮流としてのヒューマニズム批判の背景の役目を演じてきた。しかしモーラスの反ヒューマニズムの思想的射程はフランスにおいては尽くされることがなかったのである。」
(福田和也『奇妙な廃墟』)
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

プロフィール

HN:
trounoir
性別:
非公開

P R