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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<〈現在〉への脱出口3

「移行点ではない現在の概念、時間の衡が釣り合って停止に達した現在の概念を、歴史的唯物論者は放棄できない。というのも、この現在の概念こそ、ほかならぬ彼自身が歴史を書きつつある、まさにその現在を定義するものだからだ。歴史主義が過去の〈永遠の〉像を立てるのに対して、歴史的唯物論者は過去に関する経験を、それも、いまここに唯一無二のものとしてあるそれを呈示する。歴史的唯物論者は、歴史主義の売春宿で〈昔むかしありましたとさ〉という娼婦に入れ揚げてなにもかも使い果たすことは、他人に任せる。彼は自分の精力の使いどころをしかと心得ており、歴史の連続の打破をやってのけられる男である。
 …………
 歴史主義は、当然ながら、一般史〔Universalgeschichte 世界史〕において頂点に達する。唯物論の歴史記述は方法的に、おそらく他のどんな歴史記述に対してよりもこの一般史に対してこそ、最も鋭い対照をなすものなのだ。一般史はいかなる理論的武装ももってはいない。その方法は加法的である。つまり、一般史は均質で空虚な時間を埋めて満たすために、大量の事実を呼び集めるのである。これに対して、唯物論の歴史記述の根底にあるのは構成的な原理である。思考するということには、さまざまな思考の運動のみならず、同じようにその停止も含まれる。思考がもろもろの緊張に飽和した状況布置において突然停止すると、そのとき、停止した思考がこの状況にひとつのショックを与え、そのショックによって思考はモナドとして結晶化する。歴史的対象がモナドとなって歴史的唯物論者に向かいあうとき、もっぱらそのときにのみ、彼は歴史的対象に近づく。この構造のなかに彼は出来事のメシア的停止のしるしを、言いかえれば、抑圧された過去を解放しようとする戦いにおける革命的なチャンスのしるしを認識するのだ。彼はこのチャンスを認めるや、歴史の均質な経過を打ち砕いて、そのなかからひとつの特定の時代を取り出す。同じようにして、彼はこの時代からひとつの特定の生を、そしてこの生のなしたすべての仕事(Werk 作品)からひとつの特定の仕事(作品)を取り出す。彼のこの方法の成果は、次の点にある。すなわち、ひとつの仕事(作品)のなかにひとつの生のなした全仕事(全作品)が、この全仕事(全作品)のなかにその時代が、その時代のなかに歴史経過の全体が、保存されており、かつ止揚されているのである。歴史的に把握されたものという滋養ある果実は、その内部に、貴重な味わいのある、がしかし趣味的な味とは無縁の種子として、時間を孕んでいる。
 …………
 「ホモ・サピエンスのわずか五万年は」、と比較的最近のある生物学者が言っている、「地球上の有機的生命の歴史に比べれば、二十四時間からなる一日の最後の二秒ほどにあたる。いわんや、文明化した人類の歴史は、この物指しに当てはめるなら、最後の一時間の最後の一秒の、そのまた五分の一というところであろう」。メシア的な時間のモデルとして、全人類の歴史を途方もなく短縮して包括する現在時〔Jetztzeit〕は、人類の歴史が宇宙全体のなかで見えているその姿と、ぴったり重なる。」
(ベンヤミン「歴史の概念について」)
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