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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<言語侵略

「アイヌ語Aを日本語Bに翻訳するときにその過程では、何が起こっていたか。まず、向井〔豊昭〕の翻訳が書き込まれた文脈を押さえよう。十八世紀末葉、松前藩の悪政と結託した大商人、飛騨屋がクナシリ、メナシのアイヌを非道に扱い酷使して暴利を搾り取っていた。フランス革命と同年、ついにアイヌの人々はその運命的暴力に対して武器を持って立ち上がったが、最終的にはヤマトの人々に制圧された。松前藩の鎮撫軍は三十七人の重立ったアイヌを順次斬首するため「飛騨屋の商いの拠点の一つ、港のあるノッカマブの牢」に投獄した〔『怪道をゆく』〕。斬罪が五人まで執行されたとき、牢内のアイヌたちが突然、「コヤッコヤッコヤッコヤッ!」と「ペウタンケと呼ばれる呪文の声──「掻き回せ」という意味を持った言葉」を叫び始め、牢を揺さぶって破ろうとした。陣門外には何百人のアイヌが集められていたため、突然、沸き起こったペウタンケに狼狽したヤマトの兵士たちは大小の銃で発砲して牢内のアイヌをほとんど撃ち殺した。こうした暴力がその後の歴史においてアイヌの人々とアイヌ語とをヤマトという「全体」の中に確実に閉じ込めていった。この同化の歴史においてアイヌに強いられた「ヤマトの言葉」の文字とそれが産みだす文法はアイヌ語にとって「ノッカマブの牢のようなもの」だった。中上健次なら「「天皇」による統括」(「伊勢」『紀州 木の国・根の国物語』)と呼んだだろう。翻訳とは、この牢の中に、アイヌ語の「野生の核」を捕獲し、その「重層的な言葉の意味」を閉じ込めて、ついには「ズドンズドンとアイヌ語を殺してしま」うことなのである。これは隠喩ではない。断片を「全体」の均質空間に部分として配置する同化の歴史の中では、翻訳は、まずもって、ヤマトの人々による征服、支配、植民、差別の運命的暴力と換喩的に連動する暴力なのである。」
(山城むつみ「ベンヤミンのメキシコ学──運命的暴力と翻訳」)
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