「具体的な配慮を重ねていくことだけが生の墓場から抜ける方法で、だから今日も私は何かを手にとってみる。ひとつひとつが実験で、身体との対話であり、自我は辛うじてあるにしても自己はそこにはない。ルールとは布置であり可変的な形式にすぎず、出会いの濃度を高めるべく生み出されるそれらは写真機のように出来事を媒介する。言葉は好悪の軸をもつ羅針盤のようだ。地形は複雑な地磁気の流れでできていて、書くことによって私たちは地形を「読む」。
何を確かめようとしているのか。恐らく無を。無を肯定的な態度で語ることのできる位置にいることを確かめるためにそうするのだ、と思う。木が繁っていくのと同じ速度で私の無が育っていく。同じだけの広がりを私の外にも持たせてみたい、と思う。」
(encore@conceptionfork「関係にまつわる語彙を交通整理する」)